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もっと!保健体育 第四回 「フェルデンクライス・メソッド・林友子先生」 文・イラスト/伊東昌美

 中学生の時、保健体育はナゾでした。なんとなくエッチな感じがあって、でも真面目な顔をして先生は講義をしているし……。

 その当時から体育が大好きだった私は、いまでも身体のことに興味があります。ただ、その頃のナゾだとかエッチな感じだとかそんな曖昧なことではなく、もっと身体のことを知って、大人になった今だからこそ、改めてこれからの人生を一緒に生きていく自分の身体と、もっと仲よくつきあいたいと考えています。

 そこでこの連載では、私・伊東昌美が身体についてのセミナーやワークショップに参加して、それなりに自分の身体を使ってきた今だからこそ必要な、“保健体育”についてご紹介していきたいと思います。

 「もっと!保健体育」第四回は林友子先生です。

伊東昌美のもっと!保健体育

第4回  フェルデンクライス_メソッド・林友子先生

文・イラスト●伊東昌美

今回はフェルデンクライス・メソッドを体験!

 今回の「もっと!保健体育」は、一つのボディーワークをまるごとどっぷりと体験してみようという試みです。

 体験させてもらったのは、フェルデンクライス・メソッド

 フェルデンクライス・メソッドってなんだろう? と調べてみたくなりますが、まずは、その気持ちをグッと抑えて、何もわからないまま、どんな感覚、どんな感じになるのか? その体感を大事にとらえてみようということになりました。

 今回、フェルデンクライス・メソッドを教えてくれるのは、フェルデンクライス・メソッドのプラクティショナーである林友子先生(プロフィール)です。

「まずは詳しい説明なしで体感してみてください」

と、提案してくださったのも、実はこの林先生です。

(林友子先生)

 先生は、ささやくように、鳥がうたうように優しくゆったりとお話しされます。言葉の一つ一つも、相手に届きやすいようにと、大切に選んで話をしているように思われます。

 フェルデンクライスのレッスンは、グループで行うATM(Awareness through Movement=動きを通しての気付き)と、個人で行うFI(Functional Integration=機能の統合)があり、どちらかを選択するのですが、そこで私は個人レッスンをお願いしました。

 理由はまったくの初体験、ということで、先生とのマンツーマンでがっつりと体感してみたいと思ったからです。

 レッスンを通して、私の身体はどのようなことを感じるのか?

 また、身体を通して五感や考え方、物事の捉え方まで何か変化が起こるのか、それともまったく起こらないのか?

 そうしたことを経験してみたいと思ったからです。

 今回はまず、個人レッスンを体験して、その場では取材などの質問はせずに数日間はその体感を味わって、あとで改めてもう一度お会いして、先生にフェルデンクライス・メソッドについてお話をきかせていただく、ということにしました。

「治療」ではなく「学習」

 初回にはまずインタビューの時間があります。

身体の具合や、施術を受ける目的(例えばダンスの技術を向上したいとか、むくみをとりたいとか……)などについてきかれます。

私は今回、最近困っている過食についてお話ししました。

(もしかしたら、これを読んでくださってる方の中にも、同じような方がいらっしゃるかもしれませんね〜)

 私自身、自分の過食は<何かの代替の行為である>ということはおぼろげにわかっているのですが、だからといってなかなかやめられるものではありません。

 ですのでこの過食という状態が、軽減する、もしくはなくなる、ということを今回の目的にあげました。

こういう話になると、必ず潜在意識ということが出てきます。

 そこで私は、

「この潜在意識の声をよくきくために、例えば顕在意識と潜在意識のバランスをコントロールするようなことってできないでしょうか?」

という質問をしました。すると、

「フェルデンクライスでは、このコントロールということをしない、むしろ手放すようにしています」

というのが林先生からの答えでした。

コントロールを手放す

 これって、自己向上をめざすための考え方として、大切なポイントですよね?

 私たちは、ついつい思い通りにコトを動かそうと、制御しようとしたり、コントロールしようとしたりしてしまいます。

 それを続けてしまうと、何かを我慢したり、無理をしたり、本当の気持ちから離れていってしまったりと、物事の本質から離れていってしまうことがよくあります。どこかでひずみができてしまうのですよね〜。

 けれども、フェルデンクライス・メソッドは、むしろその対極ともいえる<コントロールを手放す>という方法をとるのだそうです

 面白かったのはフェルデンクライス・メソッドでは、「治療」という言葉は使わず、「学習」というのだそうです。そしてその「学習」はインタビューの段階からすでにはじまっていまるわけです。

 これは後でおききしたことなのですが、最初のインタビューの段階ですでに先生は、本人の<自らの気づき>を促すようなインタビューをしていたんですって! さすがにそんなことは気がつきませんでした。

施術に対して受け身でいるのではなく、

 あくまでも本人主体。

 自分が気づく、自分が変わる。

 そのための学習。

ということなのでしょうね。

 そうしたインタビューの後は、実際に歩いたり、後ろを振り返ったりして、今の身体の状態がどのようであるのか? ということを先生にみてもらいます。

 これも後日お話ししたの時におききしたのですが、その時の私の身体は、振り返った時にウエストラインのあたりで上と下とがつながっていない状態であり、特に右から振り返った時、下からの支えが得られないので、上半身が斜め下に落ちながら振りかえるような動きをしていたのだそう。

 こういう所見をきいてしまうと、

「それって、ゆがんでいてよくないことなのかなぁ」

と思ってしまいがち。

 でも、林先生に、

「よくない自己イメージを抱いてほしくないのでインタビューではそういうことは告げないですが、いいとか、悪いとかではないんですよ。そのようにある、ということです」

ということも教えてもらいました。

そうそう、いいとか、悪いとか、そういうことではないんですよね。

 このようにそのままの状態を観察した後、身体の部位を優しく動かしながら、つながりを探していくのが、フェルデンクライス・メソッドの方法です。

改めて、フェルデンクライス・メソッドとは?

 さて、ここで改めてフェルデンクライス・メソッドについて書いておきましょう。

林先生のHPにある説明を要約すると、

「モーシェ・フェルデンクライス博士(Moshé Feldenkrais、1904年〜1984年)によって体系化されたメソッドで、動きを探究することによって大脳を中心とした神経・筋協働システムに働きかけ、気づきを高め、人間の持つ潜在能力を目覚めさせることを可能にする学習システムである」

となるようです。

 もう少し私なりに分かりやすく言うと、小さな動きをする時に起こる自分の中の変化を綿密に観察することで、神経と筋肉の働きに気づき、普段見えない身体のつながりを学習するということのようです。

人の身体は刻一刻、毎瞬毎瞬、変化していきます。

 ですから、施術の方法もそれに合わせて違ってくるし、当然、学習を終えた人の体感や感想も、人によって違います。

 施術者側がクライアントを見る時の、“主な見立て”としては、重力に対しての身体の組織化やアライメント(骨あるいは体肢での縦軸方向への配置)ですが、実際に何をするかについては、その時、その人によって変わるわけです。

 なので一人一人の身体を観察し、その人の体全体がつながりを持って機能するように統合していくわけです。

 これはあくまでも私個人の体感になるのですが、フェルデンクライス・メソッドは、人の五感についた塵芥(ちりあくた)を取って、繊細さ、敏感さを取り戻す助けになるものだと感じました。

 私はこの「もっと!」シリーズ3回目で、瞑想をしている時に目の奥が楽になったということを書きましたが、今回のフェルデンクライス・メソッドでも、やっぱり一番最初に感じたのは、

「目の奥がとても緩んで楽になった〜〜」

ということです。

 「普段の状態が普通」だと思いがちですが、やはりパソコン漬けの昨今では、「普段の状態は目が疲れきっている」ようです。

 そして次に感じたのは、

「顎関節の力が抜けてパカ〜ッと開放された」

ことです。やはり日常的に、口元には力が入っているのでしょうね。

 そうした気づきの中でも一番特徴的だったのは「時計の音」でした。

 時計の、あの「カッチカッチ」という音は、会話をしていたり、生活音にまぎれたりして、なかなか耳に残らない音です。

 もちろんインタビューの時にも、施術台に仰向けになった時にも、まったく耳に入りませんでした。ところが学習が進むにつれて、静寂が深まり、時が止まったような感覚になっていきます。それにつれて、どんどん時計の音が大きくなっていくのです。

時計の音だけが、かなり大きく私の耳にはいってきます。

入ってくる、というよりその音に溶け込んでいく、という感じ。

私自身が時計の音になったかのよう。

時が止まっているのに、時計の音だけになるという不思議な感覚。

 やがて時計の音が小さくなっていき、ほとんど聞こえなくなってきたところで、学習は終了しました。

 この時点で言葉として書いたりしたりしてしまうと、変化が言葉の範囲で終わってしまうことがあるそうです。(なのでこれを書いている今は、学習から何日もたってからなのです)

 学習(施術)を受けた後も、どんどん身体の内部で変化が起こっているそうなので、それを感じるともなく、感じていればいいということでした。

 そこでまず、学習(施術)を受けた後に私に起きた変化についてお話しします。

小さく、確実に変わった“心と身体”

 まず過食についてですが、私は夫に別食の提案をしてみました

 今までは、夫の帰宅時間に合わせて食事をしていましたが、それだと夕方くらいに間食をしてしまったり、身体を動かして仕事をしている夫と同じくらいの量の食事をしてしまったり、寝る直前まで食べていたりと、過食、肥満の条件がそろってしまっておりました。

 にもかかわらず今までは、夕食は夫婦としての大事なコミュニケーションの場でもあるのだから、と別食をしようとは考えたことがありませんでした。

ところが、学習の後、

「コミュニケーションの場としては大切にしながら、食事だけを別にしよう」

という考えが出てきたのです。

 具体的にいうと、私が先に夕食をすませて、夫が帰ってからは夫が夕食を食べ、私は飲み物を飲みながらコミュニケーションをする、という方法です。

 実際にこれを続けてみたところ、過食が減り、食事をしてから寝るまでに時間がとれるので、朝、起きた時に胃がとても楽になりました。

 実はこうした食べ方そのものは、学習前から友人にアドバイスされていたことなので、フェルデンクライス・メソッドだけの効用ではありません。

けれども、重要なことは、

「コミュミケーションの場として大切だから、食事を別にするなんてありえない」

から、

「コミュミケーションを大切にすることと、食事の時間をずらす、は別々に考えられるのでは?」

と考えられるようになったことです。

 この発想に気がつけたことが、フェルデンクライス・メソッドの潜在意識への働きかけなのかな?

という気がしています。

 もう一つ、気がついたことがあります。

それは、朝起きた時に、

(今日はちょっと気分がふさいているな)とか、

(少しだけ、鬱っぽい感じがする)というような、一般的に言われている<負の感情>というものに気がつくようになったということです。

気がつくようになって、はじめて、

(今までは、こういう感情や気分を<よくないもの>と決めつけて、あえて感じないようにしてきたのではないか?)

ということを発見しました。

(こういう感情があるな、こういう気分なんだな)

と気づくこと自体には、本来プラスもマイナスもないはず。

なのに、私は<よくない>と決めて感じないようにしてきてしまった。

なるほどね〜、「いいとか、悪いとかではない」というのは、こういうところにもあてはまりますよね。これも大切な気づきなのだな〜、と感じています。

 実際に体験してみると、フェルデンクライス・メソッドというのは、このくらい

「<学習のおかげである>と言い切るのがむずかしい」

ものでもあるのかな?

という気がしました。

そう、わかりにくい、でも確実に何かが変わってきている……。

私の体感としては、そのような感じです。

 それでは次に、数日経ったところで改めて林先生におききしたことについて書いていきます。

身体のなかに気づきが広がる!

 フェルデンクライス・メソッドで神経系の働きがよくなるとはどういうことなのか改めておききしたところ、シンプルな言い方では、

「気づきが高まる」ということのようです。

 学習の最初に歩いたり振り返ったりした身体をみて、林先生がつながっているところやつながっていないところをみてくれます。ソフトタッチの施術によって、そのつながりを確認したりつながりを妨げているところに気づきを促しながら全身が統合されていきます。

 それはニュートラルな状態に近づく過程ともいえます。

 ニュートラルな状態というのは、止まった状態というわけではなく、

<筋肉の張り具合に偏りがなく、必要な筋肉が必要な時に必要なだけ使われる調和のとれた状態>

です。

 また、

<どの瞬間を切り取っても成立している>

とも、

<止まらずにバランスを取り続けている状態である>

とも言えるそうです。

う〜〜ん、ちょっと表現がむずかしいですね。

池でも沼でもなく、

岩にせき止められたりもせず、

泥で澱むこともなく、

流れゆく川のように、

高低差のある時は滝のような激流になり、

なだらかなところではゆったりと穏やかな流れになり……。

という表現でどうでしょう?

 こうしてニュートラルな状態に近づき、身体が統合されていくと、本人が意識していない潜在的な能力に気づいたということではないでしょうか。

これこれ!ここがフェルデンクライス・メソッドの魅力的なところであり、不思議なところでもあります。

 過食のところで私が経験したように、

<従来の思考ではくっついて離れない考え方を、それぞれ切り離して考える>

ということで新しい方法が見つかるというのは、潜在的な能力が発揮されたことではないでしょうか?

 これは一つのイメージだととらえてほしいのですが、身体のつながりを見つけていく過程で脳が機能的な動きを知覚し、脳のその部分が発火します。この発火が飛び火のようにいろんな脳の部位に火をつけるようになり、可能性が拡がり選択肢が増えていくのだそうです。

 ある部位では気づきが起こり、またある部位では余計なものが取り除かれ、その人にとって本当に必要な変化が起きてくるので、生活の質が変わってきたり、生活態度が変わってきたりすることが多いのだそうです。

実は私、密かに、静かにワクワクしています。

 変化というのは小さなところから起こります。

 私が「もっと!変わりたい」と思っているのは、単に過食ということではなくて、過食という行動を通して見えてくる<その奥の何か>です。

 その潜在的な可能性に自分で気づけるように、フェルデンクライス・メソッドは導いてくれるようなのです。

 フェルデンクライス・メソッドは、実際にミュージシャンやダンサーといった表現者の方が好んで学習されるそうですが、その理由を伺ったところ、全身の統合によりパフォーマンスの向上が見込めるからだそうです。

 確かに身体全体がつながり、統合していたら、表現をしていく際にも、その能力は充分に発揮されるのだろうなぁ、と想像できます。またそれは、身体だけではなく、心にも密接に繫がっていることも大きなところでしょう。

 そしてまたフェルデンクライス・メソッドというのは、別な言葉を使うと、

「ひたすらに身体を通して対話を続けていく」

ということでもあるそうで、

「こちらから見るとこうです。でも、あちらから見るとこんなふうです」

ということをくりかえしていく、一つの結論に落ち着くことなく、お互いの変化や気づきとともに、結果が書き換えられ続ける、そういう“気づきのレッスン”なのだそうです。

 ですから、そこに手順やマニュアルや、万人に通じる効能といったものはないので、とても説明が困難なメソッドでもあるようです。

 林先生は、

「フェルデンクライス・メソッドを学ぶことは人生について勉強しているのだ」

 というように教わったそうで、これは今回の結びにふさわしい言葉だと思いました。

 これはフェルデンクライス・メソッドに限ったことではありませんが、ボディワークというのはやはり、理屈から入るよりも、身体で感じる、体感するということが一番おもしろいし、身体の反応が何よりだと思うのです。

 もし、興味を持たれた方は、一度体験されてはいかがでしょうか?

追伸

私の過食ですが、別食に切り替えたことで、徐々におさまってきました。

少しずつですが、体重も減ってきています。またグラウンディングにも変化があり、これから何が起こるのか楽しみです!

(第三回 了)

-- Profile --

著者●伊東昌美(Masami Itou)

愛知県出身。イラストレーターとして、雑誌や書籍の挿画を描いています。 『1日1分であらゆる疲れがとれる耳ひっぱり』(藤本靖・著 飛鳥新社) 『舌を、見る、動かす、食べるで健康になる!』(平地治美・著 日貿出版社) と、最近は健康本のイラストを描かせてもらっています。 長年続けている太極拳は準師範(日本健康太極拳協会)、また足ツボの免状取得、そしてクラニオセイクラル・セラピーというボディワークも学び、実践中。健康についてのイラストを描くことは、ワイフワークとなりつつあります。自身の作品は「ペソペソ」「おそうじ」「ヒメ」という絵本3冊。いずれもPHP出版。 Facebook https://www.facebook.com/masami.itoh.9

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