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書の身体 書は身体 第四回 「書と言葉の関係」 ※有料

止め、はね、はらい。そのひとつひとつに書き手の身体と心が見える書の世界。しかし、いつしか書は、お習字にすり替わり、美文字を競う「手書きのワープロ」と化してしまった。下手だっていいじゃないか!書家・小熊廣美氏が語る「自分だけの字」を獲得するための、身体から入る書道入門。

「お習字、好きじゃなかった」「お習字、やってこなかった」

「書はもっと違うものだろう」

と気になる方のための、「今から」でいい、身体で考える大人の書道入門!

書の身体、書は身体

第四回「書と言葉の関係

文●小熊廣美

『書の身体 書は身体』タイトル

書は何を書いているのか

 前回は、

「観るためにも書く、書くためにも観る」

というようなお話しをさせていただきましたが、今回は、

「じゃあ、何を書けばいいの?」

ということを考えてみたいと思います。

 書とは、一般の概念では、言葉を書くことだと思われているかもしれません。

一字の漢字でも、そこに表されている漢字の意味の概念から、その一字を選んで書いている。そういう意味では、漢字一字も言葉といえるでしょう。

 表意文字である漢字はそれで説明がつきますが、表音文字の平がなではどうなのでしょう。

 例えば、「う」と書く。

普通の「う」

 うなぎ屋さんの看板ぽく「う」を鰻の絵のように書けば、それは絵画性となって意味を持つ言葉となるでしょうが、ただ一字「う」と書いただけでは、意味がない。

 それでも、「う」一字、書き様によっては、りっぱな書として成る可能性もあります。

鰻屋さん的な「う」

うなぎ屋さん!?

 専門家の方にそういうタイプが多いのかもしれませんが、字形や線条の追求、そして、余白や空間に惹かれたりといった具合です。もっと言えば、専門書壇の中では、はじめから字を書かないものまであって、“現代の書相”というくくりのなかは、なかなか複雑です。

余白を意識した「う」

この続きはこちらから、有料で(150円)でご覧頂けます。

-- Profile --

小熊廣美(Hiromi Ogura)

著者●小熊廣美(Hiromi Oguma)

雅号●日々軌

1958年埼玉生まれ。高校時代に昭和の名筆手島右卿の臨書作品を観て右卿の書線に憧れ、日本書道専門学校本科入学。研究科にて手島右卿の指導を受ける。

その後北京師範学院留学、中国各地の碑石を巡る。その後、国内ほかパリ、上海、韓国、ハンガリーなどで作品を発表してきた。

書の在りかたを、芸術などと偏狭に定義せず総合的な文化の集積回路として捉え、伝統的免状類から広告用筆文字まで広いジャンルの揮毫を請け負う。そして、子どもから大人までの各種ワークショップやイベント、定期教室において、また、書や美術関連の原稿執筆を通じ、書の啓蒙に務めながら、書の美を模索している規格外遊墨民を自認している。

〈墨アカデミア主宰、一般財団法人柳澤君江文化財団運営委員、池袋コミュニティカレッジ・NHK学園くにたちオープンスクール講師など〉

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