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コ2【kotsu】特別企画 甲野善紀×ミカエル・リャブコ対談 01

 ここでは今年4月にシステマ創始者・ミカエル・リャブコ先生が来日した際に行った、甲野善紀先生との対談を三回に渡ってご紹介します。  第一回目は、日本・ロシアともに激動のなか武術はどのように今日まで伝承されてきたのか? を切り口に、システマと日本武術に共通する動きについてお話し頂いています。

コ2【kotsu】特別企画 甲野善紀×ミカエル・リャブコ対談 01

構成●コ2【kotsu】編集部

時代の変化と武術 コ2【kotsu】編集部(以下、コ2) 本日はお忙しいところありがとうございます。「武術を教える、伝える」ということを大枠のテーマとしながら、様々にお話を伺えればと思っております。

 まず武術の継承ということをとば口に考えますと、日本武術は明治維新から始まる大きな時代の変化のなかで非常に多くのものを失いました。そうした変化の果てに、現在、甲野先生のような一部の方々が研究と実践を重ね今日に残そうとされています。  ミカエル先生のロシアでも革命や戦争などがありましたが、そうしたなかで武術をどういうふうに伝承してきているんでしょうか。 ミカエル 大きな時代の変化が起きると、それが何であれ、いつも前にあった風習や文化、武術に関する情報を消そうとする動きがあります。それは、そういう(自分たちのアイデンティティーに関する)情報が無いほうが人を支配やすいからです。ですから1917年のロシア革命の時には、ウクライナ周辺のコサックの方々が殺されたりしていました。

 また、昔、ロシアがモンゴルに襲われた時にも、当時使っていた車輪より背が高ければ、子供でも殺されました。その頃は13歳くらいになると、もう武術も身につけて、お父さんと一緒に戦争に出られたので殺されたんですね。ですから今では実際に武術の技術を持っている方はあまりいませんし、物語として書かれたものには曖昧にしか書かれていません。

 ただ、そうしたものでも色々読んで研究をしていると分かってくることもあります。例えば昔のロシアでは子供が3歳になったら、戦争に出れるようにお母さんから引き離されて、馬に乗せられ、刀も渡されて、武術の先生がつけられました。また、17歳くらいになると、一人で森にナイフを一本待たされただけで残されて、一週間その森で生き残るように頑張らないといけなかったそうです。いまでは12歳とか17歳くらいの男性でも普通に外出することをお母さんが心配しますが、全然違いますね(笑)。戦争はもちろんですが、昔は生活するだけでも大変でした。色々な怖い動物もいましたし、気候も大変です。ただそういう環境で試された人たちは結構強かったのです。  結局昔はなんでも自分たちでやらなければいけなかったわけです。ロシアも初めから一人の皇帝が支配していたわけではなく、日本に沢山の大名がいたように、ロシアにも沢山の大名がいました。そのなかにはそれ程豊かではない人もいて、召使いや護衛の兵士を入れても10人くらいの人もいたようです。彼らはそのたったの10人で何とか戦国時代で生き残らなければいけませんから、やはりトレーニングも厳しかったんですね。例えば敵が100人で襲ってきても、防がなければいけなかったわけですから。これは神話か実話か分からないのですが、13歳で物凄く若い大名がいたそうですが、とても強くて、「敵の血で溺れてしまった」と書かれているほどです。また、エルマックというシベリアを獲得したと言われている王は、200〜300人くらいの軍隊で5,000人の大軍に打ち勝ったとして有名です。この話は私はシベリア出身なのでよく知っています。想像してください、たったの300人で5,000人ですよ。

甲野 日本でも戦国の頃は色々な話がありますね。日本の場合は徳川時代が260年くらい続いて、その間は武士以外が武芸を習うことを禁止したんですね。ですが、結構、農民でも習う人がいて、幕府が何度も何度も禁止令を出しています。  この何度も何度も出しているというのは、ちっとも禁止令が守られなかったからなんですね。徳川時代は武士が活躍する戦争はほとんどないのですが、むしろ田んぼの水を巡って農民同士が凄く争ったりしていたようです。また、幕府が直接治めている直轄領、天領とも言いますが、そうしたところは規制が緩かったんですね。ですから、農民や町民でも武術を習う者は多かった。  幕末に江戸幕府が倒れるときに一番先頭に立って活躍した新撰組という戦闘集団のトップ二人、近藤勇や土方歳三はもともと侍ではなく、この天領の農民ですから。  まあ、もともと戦国時代は武士と農民という区別はあまりなかったので、田植えとか農作業が忙しい時期は戦争しなかったんですね。それを変えたのが織田信長という人で、この人は専門の兵隊を作って、そうした時期に関係なく、畑が忙しいときでも戦争をやるようになって、それから戦いの様相が変わってきたわけです。

 その後、徳川幕府ができると色々な規則に作って、武士が差す刀の長さも規制しました。また戦争も無かったので武士はだんだん戦わなくなりました。

 徳川の終わりの頃になると、実際に刀を使って斬り合うような戦闘もありましたが、武器の中心が刀から近代的な銃に変化していく時期でしたから、戦闘方式も大きく変わり、明治に入ると、今度は剣術や武術は凄く弾圧、というか禁止されたんですね。軍隊もフランスやドイツなどの剣術を採り入れたりして。ただ明治10年に起きた西南戦争で警視庁の抜刀隊が多少活躍し、やはり日本の剣術が優れているということで、また日本式に戻ったりもしていますが、やはりそれ以降はかなり西洋的な体の使い方が混入していますね。そういう意味では伝統的な武術を巡る状況というのはロシアと近しいものがあるのかもしれません。

システマの教え方 コ2 ミカエル先生ご自身は2歳の頃からお父様に武術を教えられていると伺っていますが、そうした武術を家族以外の人に伝えるときにどんなことに注意をしているのでしょうか? ミカエル 内容は毎回違います。例えば、トレーニングに向かっているときは大雑把にテーマを決めていますが、実際にはそのクラスに行って、生徒に何をしたいかを生徒に聞いてみたり、何が好きか、何が気に入らなかったか、いろんな反応や雰囲気を感じます。そうしたなかで、その人に何が必要か、何が必要じゃないか、今日は何を教えたほうがいいか、何がちょっと早すぎるか、それが分かるんです。もちろん、あるベースの技術を身につけている方のほうが教えやすいです。なぜかというと、ベースがあると凄く受け入れも良くなりますし、基本を分かっていたらやはりもう少し上のレベルにいけますので。

 例えばウォーミングアップの時などは呼吸と動きを合わせたエクササイズをさせます。少ししんどいと思われる方もいるかもしれないんですが、後のトレーニングに向けて必要なので、そういう風にレッスンをしています。  前回、甲野先生とお会いしたとき(2014年11月)も、最初はシャシュカを使ったエクササイズを見せるつもりはなかったんです。ただ、先生のレベルの高さを見たら、色々見せたくなりました。なぜかというと、そこまでのレベルの方は滅多にいらっしゃらないので、私自身興味が物凄くあったのです。そのお陰で皆も色々な新しい勉強になったかもしれません。もし先生がいらっしゃらなければ、まだまだそういったエクササイズを見せるまでには時間がかかったと思います。皆が大分段階を踏んでからでないと見せませんから。ただ、先生ならきっと評価できると思ってお見せしました。これは当然のことです。

大事なことは動きを繋げて動くこと 甲野 ありがとうございます。私はあのとき、普通であれば足でグッと踏ばってしまうところを、いかに踏ん張らないかというかとを伝えようとしていたのですが、そうした足使いに関しては、どういうふうにお考えですか。 ミカエル いろんな戦略というかメソッドがあると思います。私が日本の武術のなかでよく見るのは完成した動きです。一つ一つの動作が完成し完了していく動きを多くの日本の武術では使っているように思います。ただ、そうした動きでは次の動きへ繋げるのが難しいのです。

 例えば、こういう風(立ち上がり、力を入れて立つ)に立っていると、自分の筋肉で次の動きを制限してしまうのです。ここから急に動こうとしても難しい。走り出すにもスタートまでに時間が掛かってしまう。こういうポジションからやはりスタートはしにくいんです。ですから一つ一つ動作が完了した動きではなく、次の動きに移りやすいようなポジションにしないといけない。  後でセミナーでまたお見せしたいと思っています。例えばシャシュカからどうしたら次の動きに移れるかなどです。  最初の質問は「教えるときはどういうふうに伝えるか」ということでしたが、甲野先生のご質問が凄く具体的でいい質問だったのでお答えしました。そういう質問を踏まえると良いエクササイズをお見せすることができます。  またそういう質問ができることが、やはり素人とマスターの違いですね。物凄く深くて正確な質問でした。また後で刀を使って、そこからの自然な動きをお見せしようと思っています。 甲野 ありがとうございます。もう少し足について伺いたいのですが、足はどういう感じで使われますか? ミカエル 日本の武術で細かいステップで泳いでいるような動きを見たことがありますが、それは私としてはとても正しいと思います。何故かというと、恐怖という大切なアスペクト(側面)があるからです。例えば戦っている人は自分の手の長さや刀の長さに自分の恐怖を持っていくんですね。自分の恐怖を体の中から出して扱うわけです。  いいですね、こうして先生とお話しできただけで、既にいくつかのいいアイディアが浮かびましたので、今度はセミナーでそれをお見せします。(コ2注・翌日のセミナーでは体から恐怖を出す方法が説明された) 甲野 そうですか(笑)。 ミカエル また体重ですが、例えば今はこの辺り(足を指す)に集中しています。ただ、今度はこの体重を上げて、お腹の辺りに上げます。そして今はもっと上げて肩のところにあります。自分と相手との距離や何がしたいかによって、自分の体重を動かすわけです。見えますでしょうか? 今度は体重が下に降りていきます。今度は上が軽くて下が重たい。こうしたことを必要に応じて使います。 甲野 これは「人間鞠」というのですが、しゃがんだ状態から楽に立ち上がる方法です。まず、しゃがんだ状態から少し腰を浮かして、頭を前に出します。ちょうど「でんぐり返し」をしかけるような状態ですね。それで腰が踵から50~60センチくらい上にあるような状態から、一気に上体を下に沈めます。この時、一気に脱力して沈めることが大切です。そうすると足の裏がポンと床から浮いてきます。そして、その浮いてきた足と一緒に身体全体が落ちると、今度は身体全部がフワッと立ち上がってくるのです。  とてもシンプルな動きで、これを創った時は「これなら誰にでもスグに出来る動きだな」と思ったのですが、その予想に反して出来る人がほとんどいなかったのです。

 なぜ出来る人がほとんどいないのか不思議に思って、いろいろな人の動きを観察していたのですが、この動きが出来ない理由の一つは、身体の力を一気に脱力することが、なかなか難しいことですが、一番大きな理由は、この動きに、いわゆるコツのようなものが何もなく、「ただ落ちる」ということだと気がつきました。  普通、人は不慣れな動きを行うのに、まず意識的に真似して、それから次第に無意識でも出来るようにしていくのでしょうが、この「人間鞠」の動きは最初から次の目的を予想せず、「ただ落ちる」ということが必要ですから、手掛かりがないのですね。

甲野善紀先生による「人間鞠」の試演

 人間は「ただやるだけ」と言われても、次にどうなるかを予測して、どうしてもその方向に動きやすいように動こうとしてしまいますが、この「人間鞠」は、そうした作意があると出来ないのです。そういう点で、この動きは面白いと思います。 ミカエル さっきのに似ていますね。(動作を行う)体はリラックスしています。だから体重を上にしたんですね。 コ2 足の裏に地面は感じられているのでしょうか? ミカエル 力みも感じないですね。 コ2 浮いている感じですか。 ミカエル ええ、ですから自分の体重を動かすことで相手に自分の力みはどこにあるかを感じさせないんです。体重が浮いているんですね。

(第一回 了)

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-- Profile --

甲野善紀(Yoshinori Kouno)

1949年東京生まれ。78年松聲館道場を設立。日本の武術を実地で研究し、それが、スポーツ、楽器演奏、介護に応用されて成果を挙げ注目され、各地で講座などを行っている。著書に『表の体育 裏の体育』(PHP文庫)、『剣の精神誌』(ちくま学芸文庫)、『武道から武術へ』(学研パブリッシング)、『古武術に学ぶ身体操法』(岩波現代文庫)、『今までにない職業をつくる』(ミシマ社)、共著に『古武術の発見』(知恵の森文庫)、『武術&身体術』(山と渓谷社)、『「筋肉」よりも「骨」を使え!』(ディスカバー・トゥエンティーワン)など多数。Web site  松聲館 Twitter 甲野善紀 ミカエル・リャブコ(Mikhail Ryabko)1961年生まれ。5歳からトレーニングを始め、15歳で本格的な戦闘訓練を受ける。以後、ロシア内務省に所属する緊急対応特殊課(SOBR)の将校として、人質救出作戦や対テロ作戦、ボディーガードの養成などに従事。現在は検事総長のアドバイザーとして公務に携わるかたわら、システマ・モスクワ本部を中心に世界各国で指導をしている。システマ創始者。

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