コ2【kotsu】特別インタビュー バートン・リチャードソンに訊く フィリピン武術とJKD 最終回
バートン・リチャードソンという名前を聞いてピンときた方は、恐らく40代から50代のマニアではないだろうか。1990年代、まだ日本では未知の武術であった“ジークンドー”を紹介する、恐らく国内初のビデオに登場したのが師範だ。そのバートン師範が去る10月8日から12日に東京でセミナーを開催、コ2【kotsu】編集部では、今回の講座を主宰された光岡英稔師範のご厚意によりバートン師範にインタビューをする貴重な機会に恵まれた。
そこでコ2【kotsu】では5回に渡りバートン師範にフィリピンの武術のことからジークンドー、ダン・イノサント先生、そしてブルース・リー師父への想いなどをお伝えしてきた。
最終回の今回は、甲野善紀師範を迎えてお送りする。
特別インタビュー
バートン・リチャードソンに訊く
フィリピン武術とJKD
最終回 「ブルースリーから始まった武縁」
インタビュアー・文●コ2【kotsu】編集部
通訳&取材協力●光岡英稔師範
ブルース・リーの影響
─バートン先生にとって、ジークンドー(JKD)の創始者であるブルース・リーの存在はかなり大きいと思うのですが、いかがでしょう。
バートン イエス。とてつもなく大きいです。
─存命中にはお会いしてないのですよね。
バートン はい、残念ながらお会いしたことはありません。
─改めて映画を見た時の印象を教えてください。
バートン すごい身体能力、個性の強さ、豊かさ、カリスマ、パワー。ただもう圧倒されました。それらが彼の哲学から来たということも後にわかりました。ジークンドーを練習し、考え方を変えることによって、自分の人生も変えられるということを学びました。
─ブルース・リーはマーシャルアーツの先生であると同時に、哲学の先生であるのですね。
バートン イエス。哲学自体は日常を送るなかでも実践できると思います。
─ダン・イノサント師父から聞いた、ブルース・リーのエピソードにはどのようなものがありますか?
バートン とても沢山あります。ある時、ブルース・リーがダン師父に
「ウェイト・トレーニングでもやって、もう少し身体を鍛えたらどうか」
と言ったことがあったそうです。ダン師父は「OK、わかった、わかった」と答えましたが、始めることはありませんでした。当時はまだ若くやりたくてもその器具を買うだけのお金がなかったのです。
後で「ああ、ダンは今そういうことができないんだ」と気づいたブルース・リーは、ウェイト・トレーニングの器具を一式をダン師父にプレゼントしたそうです。
─大事に思っていたんですね、本当に。
バートン 二人は意見を交換したり、一緒に練習したりできる盟友でした。
ダン・イノサント師父は教員免許をもっていて、学校の先生をしていたこともあったため物事を分類し、整理することに長けていました。
例えばジークンドーのフットワークは多彩で、ステップ&スライド、シャッフル、押してのシャッフル、バースト(飛び込み)など様々がありますが、こうした分類は実は全部、師父によるものなのです。
“ブルース・リーがしていることをどう言葉にすればいいか”
ダン師父は常にそれを考えていたんです。スパーリングしたりしながら、そういう作業をしていたのですね。
ある時、ブルース・リーと一緒に練習している時に、「ちょっと動いてみて」とあるステップを指示されたそうです。ダン師父が言われた通りに動いてみて「これは何て言うの?」と尋ねたら、「ステップしたり、足を滑らせたり……」とブルース・リーが説明し始めました。
そこで、それを聞いたダン師父は「これを“ステップ&スライド”と名付けて分類しよう」と提案したところ、ブルース・リーも「OK、これは“ステップ&スライド”にしよう」と動きをカテゴライズしたそうです。
─ブルース・リーは天才だから、色々なアイディアがどんどん出てくるのですね。
バートン イエス、まさに思いついたら実行に移す「Just do it」の人だったそうです。
─ダン師父とブルース・リーのスパーリングについて聞いたことありますか?
バートン しょっちゅうやってたそうです。
─どんな感じだったのでしょう?
バートン ダン・イノサント師父はブルース・リーに7回くらいノックアウトされたらしいです。
ブルース・リーはスパーリングの練習を重視していました。1964年に行われた国際的な空手大会で、自分の武術を初めて披露する機会に恵まれた時のことです。チーサオ、ワンインチパンチ、フィンガープッシュアップといったトレーニングと一緒に、ブルース・リーはスパーリングも見せたのです。
それくらいブルース・リーにとってスパーリングは重要な要素だったようです。そのスパーリングの重要性は、私も後に理解することになりました。
─映画「燃えよドラゴン」のオープニングで、まさにそれをされていますね。
バートン サモ・ハン・キンポーとね(笑)。
─あれは今日行われている総合格闘技(MMA)やUFCの原点とも言われています。
バートン イエス。例えばブラジルには「バーリトゥード」がありますが、そこで選手は短パンをはいていますね。あれも「燃えよドラゴン」の影響でそうなったとも聞いてます。
─すごい影響ですね、ブラジルまで。
バートン 私は以前に南アフリカのズル族の村に棒術を習いに行ったことがあります。すると「なぜわざわざ、うちの村まで棒をやりに来たのだろう」と不思議がってズル族の人が次から次へと来たのです。まあ、見知らぬ白人がアメリカから南アフリカまで棒術を習いたいと村へやって来たのですから考えてみれば当たり前なことですが(笑)。
彼らに私は自分が掲載されている「インサイド クンフー」などの雑誌を見せながら通訳の人に紹介してもらいました。最初は彼らの反応がなかったのですが、途中で通訳の人が「ブルース・リーの……」と言った途端、ズル族の村人たちが「ブルース・リー!」「おぉ〜、ブルース・リー!」と互いを見合わせて驚くように言い始めたんです。私はズルの彼らがブルース・リーを知っていたことに驚きました(笑)。
講座ではバートン師範がアフリカのズル族に学んだ武術も披露された。
─すごいですね、ズル族にも知られているとは! 今でもやはりブルース・リーは先生にとってヒーローですか。
バートン イエス。天才ですし、本当に素晴らしい方です。あの時代であの若さで、なぜ彼はあんな発想ができたのか驚嘆するばかりです。
─先生はブルース・リーに関する本も書かれていますが、どうしてあんな人が生まれたと思います。
バートン やはりブルース・リーのカリスマ性、人間性は、彼の行動と考え方に基づいて出来たものだと思います。もちろん御本人の経験があるからこそ構築されたことなのでしょうが、ただ多くの人は何かにトライし、失敗したら挫折して簡単に殻に引きこもってしまうことが少なくありません。
しかし、ブルース・リーは何があっても今の自分から変わろうと試みました。そして常にそうしてきた。ここは彼の人格を形成した大きなファクターかと思います。
武友・光岡先生との出会い
─では光岡先生とバートン先生はどのように出会われたのでしょう?
光岡 ハワイ時代に御縁があり、その時に私の方からバートンにコンタクトしました。私は人づてにバートンのことを紹介されました。私が交流のあったバーニイ・ラウという合気術の使い手のお弟子さんで、ジョン・フランソンという人物がいます。
彼は元警察官なのですが、髪を引っ張って倒す技術がとても上手という変わった先生で。髪だと何だろうと出ている所に手を引っ掛け犯人を逮捕するように相手を制圧する技術がとても上手い方でした。
そのジョン・フランソンがバーニィに会いにハワイに来た時、講習会を開いてもらったんです。髪を掴んで引き倒すことや、出っ張ってる身体の部位に手指を引っ掛け相手を逮捕するように制圧する技だけで一晩(笑)。
その時色々話しをするなかで、彼がバートンにジークンドーを習っていたことを知って、彼から「バートンに連絡すれば、ハワイに来てもらうこともできるよ」と聞いたので、「それは、ぜひ御願いします」とお願いしたのです。たしか1993年か、94年のことです。
─その時、バートン先生は光岡先生にどんな印象を持ちましたか?
バートン ジョン・フランソンの紹介で私をハワイへ招待してくれましたが、最初は電話だけでのやり取りでした。しかし、“この人は武術家だ”と電話ごしからもすぐに分かりました。
人が私を講習会に招く理由は様々です。学びたいのではなく、ビジネス的な理由の人もいます。でも光岡先生は本当に武術が好きで、私をハワイに呼びたいと言ってくれていることが電話で話していて伝わって来ました。
会う前、電話のやり取りで互いに深く信頼できる仲となった 。まさに“武縁”といえる。
─当時、先生はロサンジェルスにいらっしゃったのですか?
バートン はい、ロスです。
─光岡先生はバートン先生にどのような印象を持たれたのでしょう。
光岡 どうしたら一人の人間に、これだけの経験と情報が集まるのかと(笑)。本当に武術/武道、格闘技に関する色々なことを知ってて驚きました。
ちょうどバートンがズル族の村に行き始めたり、イラストリシモ先生に会いに行かれたりする頃でした。
アフリカの武術のこともご存知で、カポエラやブラジリアン柔術など、武術の名前を挙げるとだいたい「それ知ってる」「それやったことがあるよ」という答えが返ってくるんです。シュワイジャオの投げ方なんかも紹介してました。
─ブラジリアン柔術はいつ頃やっていたのでしょう?
バートン 90年代ですね。1995年にブラジルに行った時はまだブラジリアン柔術を習う人はそれほどいませんでした。当時はまだブラジル以外ではビデオなども少なく、情報がほとんどない状態だったのです。
そうした中でも、ブラジル人の白帯の人たちが初めて習うはずの技なのに、そこそこ出来るのに驚きました。ブラジルではバーリトゥードや柔術の試合がテレビで放送されていたので、多くの人が柔術の技術を普段から目にしたことがあります。
ですからガードポジションやマウントポジション、サイドポジションといった基本的な技術を皆が知っているので、クラスに初めて参加する人でもあえて教える必要はないのですよ。これはタイでも同じです。ムエタイの試合がしょっちゅうあるので肘打ちや首相撲、膝蹴りといったムエタイの基本的な技はタイに住む人なら普段から見ていて自然と身体に入っているので、わざわざ教える必要はありません。
─それはフィリピンのカリにも言えることでしょうか?
バートン カリの場合はそうでもなく一部の地域の人たちは地域に密着したカリ、エスクリマの体系は知っています。フィリピンの地方によっては短剣を持っていてエクスリマの基本については知っていたりします。
また、別の地方ではバロング(ボロナイフ)を用いる体系だったりバタフライ・ナイフを用いる体系だったりします。それも一般的に皆が知っている技術や動きはごく基本的なもので、本当に高度な技術はいまでも隠されています。そうしたことから体系や技術あまり伝わってなかったりもします。
カリの場合は秘密を重んじることもあって過去にカリ、エスクリマ、アーニスの体系や技術が失伝してしまったこともこともあります。
講座ではナイフを使った攻防が丹念に行われた。
光岡 フィリピン武術の場合は競技もなく、チャレンジ・マッチやデス・マッチはありましたがテレビで放送するような試合やマッチとしてでなく生き死にを掛けた立合いが多かったことがムエタイやバーリトゥード、ブラジリアン柔術とは異なる所かと思います。
カリの試合は観衆のいるムエタイのような掛け試合でさえ昔はカマゴン(黒檀の一種)で出来たフラット・スティック(二等辺三角形上に削りエッジの付いた棒)で行われていたそうです。試合の勝敗は生死によってか片方が再起不能状態になることで決まっていました。
あと、たしかに昔からカリ、エスクリマの場合はバートンが述べられた様に地域性もあり“一般化したカリ”がありません。後に競技化されたスポーツとしてのカリも出来ますが、これもルールが各スクールや各大会で統一されておらず“What is Kali? カリとは何か?”を一般化して捉えることは今でも難しいです。
棒、ナイフ、剣を使うなど基本的な共通項はありますが、それは本当にごく基本的なもので、仰るように本当に高度な技術は各流派に隠されてきた歴史もあります。
甲野師範が見たバートン師範の魅力
─甲野先生はバートン先生のセミナーをご覧になっていてどうでしたか。
※このインタビューはセミナーの前と後に二回行われ、二回目のインタビューではセミナーにゲストで参加された甲野先生にも加わって頂きました。
甲野 これほどの使い手が、ここまで優しく教える講習会というのは、稀有なのではないでしょうか。素人の女性が参加していても場違いな思いをすることなく和気藹々と稽古していて、とても雰囲気がいいですね。
─バートン先生ご自身そうした場づくりを意識されてるのでしょうか。
バートン イエス。武術を必要とするのは、恥ずかしがり屋だったり、あまり運動神経がよくなかったりする人達です。そういう人たちにとって心地よい環境作りは、大切だと思います。
旧知の友人のような雰囲気を感じさせるお二人。
甲野 私は武術に無関係な人などいないと思っています。それは口では「武術なんてキライ、争いなんて嫌だ」という人も例外ではありません。仕事で誰かと交渉するにしても、そこには様々な駆け引きが行われていることでしょう。これはまさに武術です。
何より怪我をすれば体内に侵入した雑菌を白血球が殺すでしょう。どんなに戦いや争いが嫌いな人でも、体内ではつねに戦いが繰り広げられているのです。
バートン それは、まさにその通りですね。その今の白血球の例えは、自分の講習会でも使わせていただきます (笑)。
─バートン先生の日本武術に対するイメージどんな感じでしょうか?
バートン 考えるだけで鳥肌が立ちますね。歴史的に見てもすごいですし、私はすべての武術が大好きですがやはり日本の武術は特に素晴らしいです。歴史的にも見ても、各武術の流派もそうですし、文化的にも素晴らしく、そういった意味で日本のように武術に取り組んでいる所は他に類を見ないと思います。
また改めて日本に来てみて今でも武術/武道が文化の中に深く生きていることが分かりました。例えば普通に東京の道を歩いているだけでも、弓道をしている女の子が弓矢を持って歩いていたり、長刀を持った子や、買ったばかりの竹刀を持って道を歩いている男の子がいたり。そうした武術/武道が文化に浸透している環境はとてもアットホームな感じを私に与えてくれます(笑)。
光岡 もう一つのホームですね。
バートン そうですね(笑)。
─先生ご自身は日本の武術どんなものを学ばれたのでしょうか?
バートン ロサンゼルスで柔道を学びました。またハワイでは友人から柔術を学びました。その他はちょっとだけ合気道を稽古したこともあります。時間が限られているので色々なもののなかから選ばなきゃいけないのですが、いずれまた研究しなければと思っています。
─今日は甲野先生がいらっしゃいますが、バートン先生から何か質問などがあれば。
バートン 甲野先生が来てくださったことが、とにかく光栄です。私の師であるダン師父は誰よりも知られている武術家の一人であるにもかかわらず、まず第一に自分が学ぶ立場であるということを大切にしています。それと同じことを甲野先生にも感じられるところが素晴らしいです。
私自身、甲野先生がいらっしゃるだけでインスピレーションを頂けて、本当に嬉しいです、アリガトウゴザイマス。
甲野 いえいえ。
─甲野先生から質問はありますか。
甲野 個々に細かいものがあって、何か一つ「どれ」と言うのが難しいですね。ただ本当にあらゆる状況を考えられていますね。私自身、武術というのは道具はあったらあったで、なければそのへんのありあわせもので、それもなければ素手でと、あらゆる状況に対応できるのが武術だと思っているので近しいものを感じます。
─先生は光岡先生の意拳はご覧になったことはありますか。
バートン ノー。自分の講習会が終わった後の楽しみにしています。
─楽しみにされているわけですね。中国拳法は何かお習いなったことはあるのでしょうか。
バートン イエス。詠春拳はもう本当にたくさん練習しましたし、色々な先生から習いました。太極拳もちょっとやったことがあります。(近代中国武術の)ウーシューもやりましたね。その他にも少林拳や蟷螂拳の人とも親しくして頂きました。私自身は中国武術のエキスパートではありませんが、素晴らしい武術であることはよくわかります。
─今回講座に参加した日本の生徒さんに対する印象はいかがでしょうか?
バートン 何がすごいかというと、みんな“吸収したい”という気持ちで来てくれているところです。自分が何かを吸収したいというスタンスで来られている方が多いのを感じて、自分のハワイのスクールにいるような気持ちさえします。
実は私のスクールでは入門前にスクリーニングがあって、誰もが入門できるわけではありません。電話の場合はまず私の奥さんが出て、ちょっとでもおかしいところや攻撃的な雰囲気を感じたらその時点で断っています。
普通のアメリカの武術教室では広報や宣伝があって「私の学校に是非どうぞ」と住所や連絡先があるものですが、私の道場の住所はどこにも載っていません。まず電話でコンタクトして奥さんのモニターを経て、その人が雰囲気がよさそうだったら「一回学校に来てください」と話します。それから一度体験をしてもらいます。
─随分慎重なのですね。
バートン そうです。武術は人を見て教えなければいけませんから。ですから体験の際にも見ているのはその人の態度です。技術も運動神経も見ていません。どういう態度で稽古に取り組んでいるか。それが大事です。
─どういった態度が大事なのでしょうか?
バートン やはり何があってもどんな状況でも前向きでスマイルしてる人、ポジティブな雰囲気がある人が良いですね。この日本でのワークショップは光岡さんにスクーリングをお願いしました(笑)。だから素晴らしいのでしょうね。
光岡 たしかに無自覚にですが、私なりに結界を張ってスクリーニングしていたかも知れません(笑)。
─そうしたスクリーニングを大事にされる理由はどんなことでしょうか?
バートン やっぱりお互いの足を引っ張るんじゃなくて、互いに支え合えるようなグループにしたいので、そういう人たちがなるべく集まってくるような道場やグループを作りたいです。少しわがままに見えるかもしれませんが、わたし自身自分のスクールに行く時に、「行きたい」「この人たちと一緒に練習をしたい」という気持ちで道場に行きたいのです。
実は以前にMMA(総合格闘技)の選手たちを私がコーチし指導しなくなった理由もここにあります。ああした競技をすると人は凄くアグレッシブになります。また、自然とそうしたアグレッシブな態度を普段から取るようになってしまいます。
私が実際にトレーナー、コーチとして就いたMMAの選手で嫌いな人は一人もいません。そもそも自分と相性のいい人しか教えませんから。ただ選手を取り巻く人が必ずしも彼と同じような態度の人ばかりじゃありません。そこはちょっと自分にとってキツかったです。
─改めて今回はJKDアンリミテッドとしては初めてで、本当にレジェンドが来たわけですが、次回の予定はもう決まっているのでしょうか?
光岡 まだ決まってないのですが、是非機会があれば。
甲野 関西では高橋圭三さん等がとても残念がられていて次回を楽しみにしていました(笑)。
バートン わたし、大阪も行って見てみたいです、ぜひ。
─今回は大変お忙しいところ長時間お付き合い頂きありがとうございました。
光岡 ありがとうございました。
バートン Thank you very much.
甲野 ありがとございました。
(最終回 了)
-- Profile --
●Burton Richardson
ハワイ在住の武術家。JKD(ジークンドー)と東南アジア武術の第一人者。
ブルース・リーのジークンドー・コンセプト、ジュン・ファン・グンフーとフィリピン武術 カリを継承し伝えるグル(導師)ダン・イノサントやラリー・ハートソールからJKD・インストラクターの認可を得る。
フィリピン武術に関してはアメリカ、フィリピン在住の多くのマスターやグランドマスターと交流し学ぶ。その多くは今となっては殆んど稀である、互いに武器を持っての素面で行う命をかけたデス・マッチやチャレンジ・マッチを生き抜いて来た世代のフィリピン武術のマスターやグランドマスターばかりであった。
カリ・イラストリシモの今は亡きタタン(フィリピン武術指導者最高の象徴)・アントニオ・イラストリシモから公認の指導者として認められる。
イラストリシモ門下の故マスター・クリステファー・リケットや故マスター・トニー・ディアゴ等と共にイラストリシモの下で稽古に励む。
グランドマスター・ロベルト(ベルト)・ラバニエゴにも師事しエスクリマ・ラバニエゴを習得。
フィリピン武術の世界では有名なドッグ・ブラザーズの立ち上げ当初のオリジナル・メンバーの一人でもあり、ニックネーム“ラッキー・ドッグ” の名前でも知られる。
インドネシア武術シラットにおいては、今は亡きグル・バサァー(最高導師)ハーマン・スワンダに長年に渡り師事しマンデムデ・ハリマオ流(インドネシアで失伝しそうであった16流派のシラットを受け継いだハーマンがまとめた流派)を修得。
アメリカを代表するシラットの指導者 ペンダクラ(導師の師)・ジム・イングラムにもムスティーカ・クゥイタング流のシラットを習う。
ペンチャック・シラットをペンダクラ・ポール・デトゥアス(最初にペンチャック・シラットをアメリカへ紹介したアメリカにおける第一人者)から習い、シラットにおけるグル(導師)のタイトルを授与される。
他にムエタイ、クラブ・マガ、南アフリカのズル族の盾と棍棒、槍の技術等を修得。
ブラジリアン柔術黒帯。
90年代には総合格闘技UFCのコーチとしても活躍。 (以上、Web site 「バートン・リチャードソン来日講習会2015」より転載)
●光岡 英稔(Hidetoshi Mitsuoka)
日本韓氏意拳学会会長。日本、海外で多くの武道・武術を学び10年間ハワイで武術指導。現在、日本における韓氏意拳に関わる指導・会運営の一切を任されている。また2012年から「国際武学研究会(I.M.S.R.I.International martial studies research institute)」を発足し、多文化間における伝統武術・武技や伝統武具の用い方などの研究を進めている。著書に『武学探究―その真を求めて』『武学探究 (巻之2) 』(どちらも甲野善紀氏との共著、冬弓舎)、『荒天の武学』(内田樹氏との共著、集英社新書)など。
Web site 日本韓氏意拳学会