柏崎真由子「お能ののの字〜 舞台から観る能楽散歩」 第二回 緊張の正体
金春流のシテ方である柏崎さんが、演者として身ひとつで舞台に立つ側から観た、お能のあれこれを綴ります。
連載の第二回目は「緊張について」です。緊張は誰もが経験し、誰もがその対処に苦慮するもの。観るー見られるの関係性から生じる緊張を、能楽師はどのように処しているのか。緊迫感あふれる描写が続きます。
柏崎真由子 「お能ののの字〜舞台から観る能楽散歩」
第二回 緊張の正体
文●柏崎真由子
緊張は前夜から始まる
私がはじめて「能楽師」として舞台に立ったのは、2012年の「円満井会定例(※1)」であった。能楽師として能を舞うということは、玄人として能を舞うということである。
(※1)金春流の中堅能楽師を主軸とした定期演能会。年に4〜5回、矢来能楽堂にて開催。
私の肩に「玄人」の二文字が重くのしかかる。素人と違うのは、チケットをご購入頂く、すなわちお金を払って私の能をわざわざ観に来てくださるということである。本当に恐れ多いことだ。
神楽坂の住宅街に静かに溶け込む矢来能楽堂は、厳しい表情で私を迎えた。前夜は全く眠れなかった。楽屋に入り、先生方にご挨拶をする。紋付き袴に着替えると、演能(えんのう)の準備に当たる。
神楽坂に静かに溶け込む矢来能楽堂
私の演目は『羽衣(※2)』であった。何を置いても重要なのは、面(おもて)の準備だ。面は、舞台上で私の血の通った「顔」として機能しなければならない。この面の調整を「ウケ」という。
具体的には、「アテ」と呼ばれる和紙や布で作った小さな補整を額や頬に数枚貼り付ける。面の表情が暗いのなら、額のアテが多いのかもしれない。一つ剥がしたり、増やしたり。5ミリ角度を変えるだけで表情が変化する。面はとても繊細なのだ。
(※2)演目『羽衣』の舞台は、静岡県美保の松原。春の朝、漁師白龍は、松にかかっている美しい衣を見つけた。持ち帰ろうとする白龍の前に天女が現れる。衣は天女の羽衣であった。衣がないと天上界へ帰れないと訴える天女。天女の弱々しい姿を気の毒に思った白龍は、月の世界の舞を披露することを条件に衣を返す。天上界の舞がはじまった。天女は舞を舞いながら飛翔し、地上に宝を降らしつつ天上界へと帰って行く。
次に装束の確認をする。頭に戴く「天冠(※3、てんがん)」の四方をヒラヒラと飾る「瓔珞(ようらく)」がきちんと取りつけられているか。舞台上で落ちでもしたら大変である。
(※3)能のかぶり物。女神や天人などの役に用いる。
主に舞を舞う女性が纏う袖幅の広い上衣「長絹(ちょうけん)」は、そのまま着ると手が隠れてしまう。袖が舞台上で美しく翻るよう、自分の手のちょうどよい位置に重ねて折り、余分な長さを糸で留める。これで袖が扱いやすくなる。
装束の運搬から着付けといった、演能に関わる作業の全てを、能楽師は自分達の手で行っている。
いよいよ出番が近づいてきた。出番の30分程前になると着付けをお願いする。身体の補整のため、胴着と呼ばれる綿入れを1枚、チョッキを1枚、さらに腰の周りの補整をするためのタオルなどをまく。その上に、襟、摺箔(すりはく)などの装束を重ねていく。鏡の間に腰を落ち着け、面と自分の目と目を合わせ挨拶し、最後に面をつけ、天女の姿へと変身する。
いよいよ(それでも)、幕が揚がる
ワキ(※4)の白龍が仲間と釣りにでかけた折に、松の枝にかかっている美しい衣(羽衣)を見つけた。さあ出番だ。
(※4)主役であるシテの相手役。シテが生きている人間のほか、霊、草木の精、神、鬼などを演じるのに対し、ワキは必ず現世に生きる男性である。会話によってシテの内に込めた思いを引き出す、能の進行に欠かせない役割。
「お幕(オマークー)」
五色に彩られた幕がゆったりと揚がる。
照明のまばゆさに目を細める。
「それは天人の羽衣とてー」
揚げ幕と舞台を繋げる「橋掛かり」をゆっくりと進み、舞台に入る。見渡せば、客席、客席、客席。ぐるりと客席に包囲されている。
たまに「舞台から客席は見えますか?」という質問を頂くことがあるが、とても鮮明に見える。面は基本的に、両目、鼻の穴、口の部分がくりぬかれている。両目は左右の穴があるが、面と目の距離が近過ぎるため、二つの穴が実際には一つしか見えない。
面越しに、観客と対峙する。年齢層は、やや高めだ。御着物をお召のご婦人、スーツ姿の男性、パーカーの学生さん、少しおめかしした友人の顔も見つける。ハラハラしているのだろう。心配そうにこちらを見ている。
ドックンドックン。全身が鼓動する。客席の様子が一変した。膝の上に謡本を広げた中年男性が、スロー再生でもしているが如く、不気味な程ゆっくりと顔を上げる。舞台上では型でもない限り、不用意に顔を動かしてはならない。瞳のみを左右に動かし、客席の様子を伺う。
『羽衣』の装束を身に纏い、舞台に立つ(シテ:柏崎真由子/撮影:辻井清一郎)(転載禁止)
まるで冷凍保存されている魚のようにピンッ! と背筋を硬直させ、皆一様に私を見ている。さっきまで、心配そうにこちらを見ていた友人の表情が凍りついている。室内は柔らかい自然光に包まれているのにもかかわらず、友人の顔がみるみる黒くなりはじめた。頭上から墨を垂らしたかのように、顔が黒く暗く染まっていく。くっきりと縁取られた目だけがギラギラと鈍く銀色の光を放つ。緊張するあまりの幻覚だとわかっているのに、身体は金縛りにあったかのように硬直している。
今や観客の存在は、「目」でしかない。
視線の一つが、弾丸のように私の身体をドンッッと突き抜ける。衝撃の反動を感じる間もなく、二つめの視線。三つ、四つ(コポ)、五つ(コポコポ)……
白濁した液体が足元から音を立てて沸き上がってきた。
気がつくと、私の身体は半透明な容器となっていた。空っぽで半透明の容器である。視線を感じる度に液体が音を立てて沸き上がる。
コポ、コポコポコポ……。
そのうち私という器の容量を超え、液体が細い筋を作り、外側へしたたり落ちた。
ポタッ。ポタポタ。ついには止めどなく溢れ出す。
ザザザッー。溢れ出すともう止まらない。舞台の上が水浸しだ。
すると身体の内側から振動が起こりはじめた。ガタガタ。地震だろうか。震度は、1から3、4、5へと。徐々に激しさを増していくのだ。
この液体の正体は「緊張」である。
緊張が私の身体を支配するまでの感覚をあらわしたものだ。
緊張に囚われてしまうと、そこから脱出することは難しい。「緊張している自分」に驚き、慌て、全意識を今の自分の状態に集中させてしまうからだ。あとはただただ緊張の波に埋もれ、あたふたと流される。寄せかえるは自己嫌悪の嵐。冷や汗タラタラ、強張った身体のまま、70分の舞台を何とか終えた。
苦い思い出である。
私はなぜ、緊張するのか?
あれから5年経った今でも、この緊張は変わらない。強がりを言わせて頂けるのならば、ほんの少し“まし”になった程度である。平常心で臨んでいるようでも、足や手が重くて思うように動かない時もあるし、妙に手の震えが起こったりもする。
ただし初めの頃は、緊張自体を気にするあまり、「この緊張どうしよう、また緊張したらどうしよう、緊張カッコ悪い、緊張撲滅!!」と、頭の中は堂々巡りするだけだった。
緊張にもさまざまな種類があり、その原因は一つとは限らない。
「私はこの神聖な空間ではたして舞えるだろうか?」。畏れに押しつぶされそうになる。観客の視線が私に集中する。「折角の舞台、いい所をみせなくては!」という、ちっぽけな見栄を発見する。
しかし身体は思うように動いてはくれない。この時、はじめて緊張している自分に気がつく。本来集中すべき曲の世界をわきに置き、緊張していることを隠すのに必死になっている。「私は自分に呪いをかけてしまった……」これが悪循環を招き、さらなる恐怖を生み出す。
能は怖い。演者の心の状態や性格までもが、顕著に舞台に現れてしまう。
それでも緊張は必要だ。 緊張は空港の保安検査のようなもの。
「つまらない見栄を一つ発見しました。機内には持ち込めません」……舞台に上がるまえにセキュリティチェックを自分自身にかけ、みつかった危険物(緊張)をその場においていく。
それをすませたあとの、“素の心と身体”でなければ、本当に表現したいこと、伝えたいことに着陸できないのだ。
(シテ:柏崎真由子/撮影:辻井清一郎)(転載禁止)
緊張が教えてくれること
正直にいえば、緊張をコントロールできたことは一度もない。私は本当に能を舞いたいのだろうか? 緊張という霧が、本来目指すべきものを遮ってはいないだろうか? いつまでも緊張のご機嫌うかがいをしていても仕方がない。自分に言い聞かせる。
ただし緊張を超えて“素の心と身体”で舞台に飛び込んだとき、うっとりするほど美しい世界がそこに生まれる。
私たちはよく「能はとてもシンプルな芸能です。想像力を豊かに舞台を御覧ください」などとお話しさせて頂くが、演じる側にこそ想像力が必要なのだとおもう。
たとえば、『羽衣』の世界を想像してみる。
シテの天女は何者? 気高く少し冷たい美を称えた天女か、それとも人間に衣を奪われてしまう少しドジで可憐な天女か。
天女が持つ「羽衣」はどのような質感? フワフワと羽のように純白で軽いのか、はたまた景色が透ける程薄く、しっとりとした素材なのか。
天女の住む月の世界に建つ玉の斧で創られたという宮殿は? どこまでも透き通って青白い光を放ち、濃紺の空に浮かんでいるのだろうか。
宮殿には白衣と黒衣の天女がそれぞれ15人ずつおり、交代で舞うことで月の満ち欠けを司るという。……まてよ、天女が持つ「羽衣」は白のイメージとばかり思い浮かべていたが、黒衣の天女の可能性だってある。
本番までの気持ちの準備、舞台の使い方、心の置き所、最初から上手くできる人などいない。緊張とは、舞台に身を投じる前に自分を鼓舞するための準備運動なのかもしれない。
(第二回目 了)
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※柏崎さん含む三名の女性能楽師が主催する公演の第二回が2017年6月9日(69の日!)に行われます。事前講座もありますので、どうぞふるってご観賞ください!
【み絲之會 第二回 公演】 2017年6月9日(金)/17時45分会場 18時半開演 (終演21時)
於:セルリアンタワー能楽堂
東京都渋谷区桜丘町26番1号 地下2階階
【番組】 仕舞 「敦盛クセ」柏崎 真由子
「小袖曽我」辻井 八郎 井上 貴覚
「定家」 富山 禮子
復曲独吟 「妻戸」 金春 憲和 舞囃子 「春日竜神」村岡 聖美
―休憩―
狂言 「寝音曲」大藏 彌太郎 能 「杜若」 林 美佐 【料金・お申し込み】 SS席:6,000円 S席:5,500
A席:5,000円 B席:4,500円 学生:3,000円
【お申込み/み絲之會公式HP】http://miito-no-kai.com/
【み絲之會 第二回公演 事前講座】
■能「杜若」の世界
■2017年5月7日(日)13時半開場 14時開始
於: 国立オリンピック記念青少年総合センター
東京都渋谷区代々木神園町3-1
【講師】朝原広基
【参加費】2,000円
【お申込み/み絲之會公式HP】http://miito-no-kai.com/
--Profile--
柏崎 真由子(Mayuko Kashiwazaki)
北海道函館市出身。シテ方金春流能楽師、(公社)能楽協会会員。東京造形大学(絵画専攻領域)在学中に能と出逢い、能楽師の道を志す。卒業後、八十世宗家金春安明、高橋万紗に師事し、2016年『乱』を披演する。2016年に金春流女性能楽師の会「み絲之會」を旗揚げ、第1回公演を11月18日に行う。
Web site(ブログ):まいあそび*うたいあそび