【連載】お腹で分かるあなたのカラダ やさしい漢方入門・腹診 第五回「腹証と養生 その2」
漢方の診察で必ず行われる「腹診」。指先で軽くお腹に触れるだけで、慣れた先生になるとこの腹診だけで大凡の患者さんの状況や見立てができるといいます。「でもそんなこと難しいでしょう」と思うところですが、本連載の著者・平地治美先生は、「基本を学べば普通の人でも十分できます!」と仰います。そこでこの連載ではできるだけやさしく、誰でも分かる「腹診入門」をご紹介します。
お腹で分かるあなたのカラダ やさしい漢方入門・腹診
第五回 「腹証と養生 その2」
文●平地治美
みぞおち周辺の腹証
前回(第四回)から、お腹の状態である「腹証」の代表的なものを例に挙げ、その症状や養生の仕方をお伝えしています。
今回は「心下(しんか)」と呼ばれる、みぞおち周辺の腹証を扱います。ちょうど胃がある辺りで、胃を含む消化器の働きに問題があると、何らかの異常がでてきます。
漢方では、胃を飲食物を消化するだけの器官とは考えず、生きるのに必要なエネルギーである「気(※)」をつくりだす働きがあると考えています。ですから胃の働きが弱って“胃気(胃の気)”が滞ると、胃が風船のようにふくらんでしまい、おなかを圧迫します。このような状態を「気滞(きたい)」と呼びます。
※ 東洋医学では、からだに「気」という、目に見えない流れが通っていると考えられています。疲れたり、病気になったりすると、気の流れが悪くなり(気滞)、冷え、硬さ、熱、腫れなどの変化が皮膚にあらわれます。この変化を読み取り、鍼や灸などを施すことで気の流れを調整しています。
“胃気”は通常、からだの中を下に向かって一方通行に流れています。食べたものが口から入り、消化されて肛門まで運ばれていく流れを作ります。順調であればこの流れが滞ったり逆流することはありません。その胃気と兄弟関係にある“脾気(脾臓の気)”はその反対に、上に向かって流れています。
からだが元気であれば、胃気と脾気は互いに協調し合って、気をからだの必要なところに送り届けてくれます。 ところが胃気と脾気がうまく調和しないと、胃気が滞って心下につかえてしまいます。または胃気が逆上してしまうと、げっぷや嘔吐などの症状を引き起こすこともあります。
今回取り上げる三つの腹証「心下痞、心下痞硬」「胃内停滞」「臍上の正中芯」とも、気をつけることはほぼ同じ。おもな原因となる、飲食不節(飲食に節度がなく、不規則であったり量が不適切であったりする状態)や、ストレスをできるだけなくすように、調子を整えていくことです。
では、それぞれの腹証について、くわしくみていきましょう。
腹部の名称。今回はみぞおち周辺の「心下(しんか)」の腹証について取り上げる
腹証4〜心下痞/心下痞硬
心下痞(しんかひ):心下(みぞおち)が痞(つか)えるという自覚症状あり
心下痞硬(しんかひこう):みぞおちがつかえるだけでなく、“押すと硬い”という他覚症状あり
という腹証について解説します。
みぞおちが硬い状態を保てなくなったことで心下痞硬から心下痞に移行することも、反対に心下痞から心下痞硬に移行することもあり、どちらがより重症というわけではありません。
このほかにも、心下痞硬よりもさらに硬い「心下堅(しんかけん)」「心下痞堅(しんかひけん)」などといった腹証のバリエーションと、それぞれに対応する漢方薬があります。ただし一般的には、上の二つの症状さえおさえておけば十分です。
【心下痞/心下痞硬の人は…】
・お腹の状態
消化器に何らかの異常が発生すると、脳へ危険信号がだされ、からだの防衛反応が起こります。心下痞は危険信号を感じ取った状態、心下痞硬は腹直筋が固くつっぱり、おなかの内部を守ろうとしている状態です。
初期症状の段階で、原因となっている生活習慣を改善すれば自然と消えることもありますが、改善しないまま過ごすと、防衛反応がよりエスカレートし症状がますます悪化します。ひどくなると何も食べられなくなることもあります。
・なりやすい人
食べ過ぎ、肉や油(脂)の多いもの・甘いもの・冷たいものを食べる、よく噛まないで早食いする、食べてすぐ寝る……といったことは、どれも胃には過酷な状況です。結果として、みぞおちにつかえができてしまいます。
・出やすい症状
食欲不振、吐き気、げっぷ、胃部膨満感、つかえなど。
・処方
心下痞鞕の代表的な漢方は「半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)」です。お腹がゴロゴロと鳴って下痢を伴う場合、または口内炎ができている時に処方します。
お腹がゴロゴロ鳴る状態を「腹中雷鳴(ふくちゅうらいめい)」と言い、胃腸がきちんと働いていない状態です。
私自身も食べ過ぎた時などにたまにお世話になる処方で、「良薬口に苦し」という言葉が似合う、苦い味の処方です。でも、症状に合っている場合は不思議とこの苦味が美味しく感じられます。
胃の働きは精神的なことに影響を受けやすいので、腹中雷鳴とともに不安感や、イライラ、うつ症状、自律神経失調症、不安神経症、ストレス障害、更年期障害などの症状を伴うこともあります。
・日常で気をつけること
先に述べたように、「飲み過ぎ」「食べ過ぎ」「ストレス」が大きな原因です。まずは食生活を見直してみましょう。
また心下に異変がある場合、背中の張りを訴える方が多くいます。その場合、私たち鍼灸師は、背中にある「胃の六灸(いのむつきゅう)」と呼ばれるツボ(下図)をはじめ、背部を治療することが多いです。民間治療でも、胃の調子が悪いときは背中を治療すると効果があることが、経験的にわかっています。ですが、いざなぜ? というメカニズムについては、長らくわかっていませんでした。
胃腸の不調に効く背中のツボ「六つ灸」。
すべて胸椎の横(肩甲骨の下端を結んだライン上)、指幅2本分外側にある。
1隔兪(かくゆ):第7胸椎の横/2肝兪(かんゆ):第9胸椎の横/3脾兪(ひゆ):第11胸椎の横
その解明をされたのが、漢方医かつ、神経内科が専門の寺澤捷年先生[1944年〜、医師。伝統医学漢方と西洋医学を徴させた「和漢診療学」を提唱]です。
寺澤先生は、心下痞により食事もままならなかった重症の患者が、背中へのたった1本の鍼で、治療の帰りにはハンバーグライスを完食(!)して帰ったという症例に感銘を受けたとことから、研究をはじめられたそうです。
現在、寺澤先生はさらに研究を進め、『漢方腹診考—症候発現のメカニズム—』(あかし出版)を著されました。専門家向けですが、腹診の詳しいメカニズムを知りたい方におすすめです。
腹証2〜胃内停水
このタイプの方はもともと胃の働きが悪く、乗り物酔いしやすい、低気圧の時に体調が悪くなる、めまい・吐き気・鼻水・むくみといった、いわゆる“水毒”の症状を伴うことがよくあります。舌の縁に歯型がついている「歯痕舌(しこんぜつ)」の人も多いです。
【胃内停水の人は…】
・お腹の状態
心下(みぞおち)を指先で軽く叩くと、チャポチャポと音がします。何らかの原因で胃腸の働きが悪くなって余分な水分が胃に溜まり、滞っている状態です。胃腸がきちんと働いている場合、水は胃の中に貯まることなく下に流れて吸収されます。ところが、体の水はけが悪いと、いつまでも胃に水がたまり、胃部不快感や吐き気などの原因になることがあります。これを胃内停水といいます。
・なりやすい人
胃下垂の人に起きやすい症状です。胃の内容物を腸へ送り出す機能が低下し、胃の中に溜まった水と、ある程度の空気がある状態でチャポチャポという音がします。胃のなかが食べ物でいっぱいになっている満腹時の食後よりは、空腹時の方がより正確にわかります。
・出やすい症状
漢方の考え方では“胃腸は湿気に弱い”ですから、水分が溜まってしまうとさらに働きが悪くなる、という悪循環に陥ります。ひどくなるとめまいや吐き気、精神不安などにつながります。
・処方
胃内停水の代表処方は「五苓散(ごれいさん)」と「小青竜湯(しょうせいりゅうとう)」です。
五苓散:水はけが悪い人は、胃内には水分が溜まっている一方で必要なところには水が不足しているため、口や喉が渇いて水を飲みたがります。人によっては飲むとすぐに吐いてしまうことがあります。このような状態を「水逆(すいぎゃく)」と言い、五苓散がぴったりの症状です。五苓散を服用すると、水を飲んだあとのおう吐も止めることができるようになるので、嘔吐下痢症やノロウイルスによる症状にも応用することができます。
小青竜湯:花粉症で病院で漢方を処方される場合、ほとんどが小青竜湯を出されているようです。すべての花粉症に効くわけではなく、ティッシュペーパーを一箱使ってしまうような、水のような大量の鼻水が出る花粉症に有効です。
「心下に水気あり」と小青竜湯の条文には書かれていますが、これがまさに胃内停水を指しています。この心下に溜まった水が行き場を求めて水様の鼻水、薄い痰などとして排出されます。冷えた胃を温め水を捌くことにより、結果的に鼻水が止まるのです。
・日常で気をつけること
もともと水分を溜めやすい体質の方はもちろんですが、水分の摂り過ぎでこの腹証になっている方も多いようです。
脳卒中などの予防のために、寝る前に冷たい水などをたくさん飲む、夏場に熱中症を恐れるあまり、必要以上の水分を摂り過ぎる方もいると聞きます。飲みたくもないのにお茶を飲む、ドリンクバーなどで何杯もおかわりをするといったことは、胃内停水の原因になります。
特に冷たいものは胃に滞りやすく、胃の働きを低下させる大きな原因になりますので、体温以下のものはできるだけ飲まないように気をつけてください。
腹証3〜臍上の正中芯
正中芯とは、解剖学的には“白線”という、左右両側で縦横に走る腹筋の腱の一部です。筋腺維が前腹壁の正中線で合わさってできたもので、上方はみぞおちの剣状突起からはじまってだんだん広がり、へそより下で再び狭くなり恥骨結合の上縁についています。 腹筋を鍛え抜いて割れている人を見たことがあるかと思いますが、その縦割れ部分の一部に当たります。
【臍上の正中芯の人は…】
・お腹の状態
“臍上と臍下の両方にあるもの”と、“臍上か臍下だけにあるもの”とがあります。
腹部正中線上に少し圧を加え、左右に指を動かしながら探ってみると、皮下に鉛筆の芯が入っているような感触があります。健康な状態では周りの筋肉がしっかりしているので触ることはできません。 指を垂直に立ててそっと触れ、左右に探るのがポイントです。強く押すとわからなくなり、見逃してしまうことがあります。圧を加えても痛みはないことがほとんどです。
この腹証は昭和の漢方医である大塚敬節先生が提唱し、その弟子である寺師睦宗先生が「正中芯」と命名しました(寺師先生は私の漢方の師で、この正中芯も何度か実地で教えていただきました)。
・なりやすい人
正中芯の原典とされる江戸時代の医書『診病奇核』(多紀元堅著)には、「脾胃の虚は中皖より以下臍のあたりまで任脈通りに箸[編注:鉛筆の芯のようなもの]を伏せたる如く筋立つものなり。難治なり、中焦を補う薬なり。」とあります。
これは今のことばでいうと、「臍上の正中芯は胃腸が弱く、病気も治りにくい」という意味のことが記されています。
また漢方医の松田邦夫先生は、亡くなる数日前の患者さんのお腹に、肉眼で見えるほどの正中芯が浮き出てきた経験のことを述べて、
「死を目前にして、腹直筋などの緊張が急に消失したためであろう。(中略)死後の解剖に立ち会うと(正中芯が)見られることを思い出した。生前に肉眼で正中芯を見るならば、一見状態が良いように見えても、すでに必死の状態と知るべきである」
(「肉眼で正中芯を見た1例と正中芯の臨床的意義について」より引用)
と、論文に記されています。
・なりやすい人
上の「なりやすい人」で述べたように、正中芯が見えると即亡くなる例ばかりではありません。ただし正中芯が急に浮き出てくるのは、周りの筋肉が弾力をなくしてグニャリとなり、やせて皮下脂肪も薄くなったためと考えられます。これはからだが相当弱っていることになります。
・処方・日常で気をつけること
臍上のみの正中芯は、脾虚になって胃腸の機能が弱っているので、
消化の良い温かいものを少量ずつ食べる
よく噛む
体を冷やす性質のものを避ける
過労、ストレスを避ける
といった養生が大切です。
漢方処方では、人参湯、四君子湯をはじめとする、胃腸の働きを補う処方が適しています。
*
次回は特に女性に多い「瘀血(おけつ)」にまつわる腹症について解説していきます。
(第五回 了)
平地治美先生の好評既刊『やさしい漢方の本・舌診入門 舌を、見る、動かす、食べるで健康になる!』は全国書店、Amazonなどで発売中です。舌から自分が見えてきます!
-- Profile --
著者●平地治美(Harumi Hiraji)
1970年生まれ。明治薬科大学卒業後、漢方薬局での勤務を経て東洋鍼灸専門学校へ入学し鍼灸を学ぶ。漢方薬を寺師睦宗氏、岡山誠一氏、大友一夫氏、鍼灸を石原克己氏に師事。約20年漢方臨床に携わる。和光治療院・漢方薬局代表。千葉大学医学部医学院非常勤講師、京都大学伝統医療文化研究班員、日本伝統鍼灸学会学術副部長。漢方三考塾、朝日カルチャーセンター新宿、津田沼カルチャーセンターなどで講師として漢方講座を担当。2014年11月冷えの養生書『げきポカ』(ダイヤモンド社)監修・著。
個人ブログ「平地治美の漢方ブログ」
和光漢方薬局
著書
『やさしい漢方の本・舌診入門 舌を見る、動かす、食べるで 健康になる(日貿出版社)』、『げきポカ』(ダイヤモンド社)