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瞬撃手が解く、沖縄空手「基本の解明」 第11回 「夫婦手」

数年前から急速に注目を集めた沖縄空手。現在では本土でも沖縄で空手を学んだ先生も数多く活躍すろとともに、そこに学ぶ熱心な生徒も集まり、秘密の空手という捉え方から、徐々に地に足の着いたものへと変わりつつある。ここでは、多年に渡り米国で活躍し、瞬撃手の異名を持つ横山師範に、改めて沖縄空手の基本から学び方をご紹介頂く。

瞬撃手が解く、沖縄空手「基本の解明」

第11回 「夫婦手」

横山和正(沖縄小林流研心国際空手道館長)

夫婦手(めおとて)とは

 夫婦手とは沖縄空手独自の名称で、夫婦という表現を用いてお互いを補助し合う概念を用いたもので、左右の双方の手を有効に連結させて行う両手を活用した技法の総称に用いられているものです。

 読者の皆さんも、これまでに古典的空手の実用法を解説する文献を通じて、この夫婦手という言葉を目にしたことがあると思います。それ程この手法の名称は幅広く知られているものです。

 ところが、その一方でいざその活用法の実態となると、いまひとつ曖昧で「何をもって夫婦手となるのか」、「それが技なのか」、「どの様なものが夫婦手として理解されるべきものなのか」、などその定義が難しいところもある様です。

 そこで今回は、沖縄空手に伝わる夫婦手の解説を試みながら、その具体的活用法に迫ってみようと思います。

夫婦手の分析

 先にも解説をしましたが、夫婦手とは基本的に左右双方の手が互いに補い合って、動作する技法を総括して指した名称であり、特定の技法や手法を指したものではないということです。

 それは言い換えるならば、基本の突き動作でさえも、突き手と引手の関係をもって夫婦手の一片と言えるのです。

 ここでは、そうした基本的な夫婦手の概念を土台に据えた上で、改めて考察していこうと考えています。

  1. 単独動作による夫婦手。これは主動作を行う手と予備動作を行う手の双方の関係に見られる活用です。主活動には突き・打ち・受けなどがあり、相手を直接打つ“突き手”と、それを補う“引手”との釣り合いを以て、夫婦手となっているものが主と言えるでしょう。

  2. 打撃攻防の夫婦手。これは単独基本から応用や実戦に適応していくうえで、より単独の動作を有効に相手に働かせるために、これまで単に引手として活用していた補助手を一変して攻撃を補う方向に変化させたもの。

  3. 投げ技、関節技を含む夫婦手。空手は単に突く・蹴るだけの武道ではありません。それらを中心にしながらも延長線上には投げ技や関節を極める技法も含まれています。特にその際には身体全体の動作を用いてひとつの完成された技法として成立するためには、梃子の原理・軸の設定、等の造りが必要となり、それらを円滑に行うために夫婦手は不可欠なものとなります。

以上のものがあげられるでしょう。

基本、型、用法、応用へ

 さて、これまで沖縄空手における基本から型について解説をしてきました。沖縄空手と言えば“対人の技術を型で学ぶ”といった独自の習得法が用いられているものであり、実際にそこには、いわゆる競技を前提としていない、武術だからこその整合性があるからです。

 そして、それはこの項で紹介をしていく夫婦手もこうした習得法の中に含まれる当たり前の身体運用のひとつであるのです。

 しかし、こうした優れた修得体系を持っている空手ではありますが、勿論、全てが完璧にという訳ではありません。

 それは、稽古に用いられている型の動作がいくら高度、且つ有効なものであっても、動作が非常に抽象的で、ともすると「どの様にも解釈出来てしまう」という要素を持っているからです。

 そのためこれらの動作は訓練の熟練度、研究と見識レベル、経験、才能等の個人差によって、同じ動作や型を学んでも理解や内容に大きなギャップが生じてしまう事態が起きるのです。

 その結果、たとえ沖縄空手の型を学んでも、その内容や目的、稽古法への理解がなければ単なる動作の順番を覚えただけのものでしかなく、その真義に到達することはありません

 沖縄空手の向上は本連載の初頭にも触れた様に、

基本→型→用法→応用

という習得法の流れに則して段階的に向上していくものであり、これら全てはそれぞれに深い関係を持っているものなのです。

 それは今回のテーマである、夫婦手にも当然共通するところです。そうしたことを踏まえ、これまで学んできた基本や型の動作と応用の関係について、夫婦手を通じて、出来るだけ理解し易い様に進めてみたいと思います。

受け技の再考

 空手の基本動作が突き・打ち・蹴りといった当身の用法を中心に体系化されていることから、当然、それらを防御する術“受け技”に値する動作が存在するのは当然です。

 しかし、ここでまず書いておきたいことは、古くから伝わる様々な武道・武術には、本来防御という単体の用法が余り伝えられて来ていなかった、というとこです。

 恐らく防御という概念・技術が最もシステム的にトレーニングされているのはボクシングでしょう。ブロッキング、ダッキング、ウェイビング、スリッピング、パリーなどの防御技術は、多くの格闘技に影響を与えています。  ただそれは、リングで一対一でほぼ正対して向き合い、グローブを着用したうえで、手業で攻撃部位が腰より上というルールを前提に成立したものです。また、その指導も一部の優れた指導者を除けば基本的な技術は伝えてはいますが、どちらかというと選手の能力(いわゆる避け勘と呼ばれるもの)に任せている印象が強いところです。

 そうした中で空手の場合は、中段受け、上段受け、下段受け、払い

 といった明確な受け技動作がかなり重要な位置で織り込まれていることが特筆されるものです。

 ところが、そうした空手の受け技も、いざ組手の段階に入ると型通りに相手の攻撃を受けきれるものではありません。と言うより型通りに行えば行う程、相手から遅れをとってしまうといった経験を、空手修行者の多くが経験していることだと思います。そのため、

「基本や型と実用法は別物である」

「整った受け技では自由な相手の攻撃に対処出来ない」

といった結論にたどり着いてしまうこともしばしばです。

 また、下段払いの様な受け技は単発の前蹴り等に対しては対応出来るものの、受け続けている限りは相手に攻撃の主導権を握られていることには変わりはありません。

 そこでここでは、まず多くの空手流派で学ばれる、空手の受け技の「問題点」と言われる部分を今一度分析して見たいと思います。

  1.  個々の基本の受け技の動作が大き過ぎる。

  2.  一拳一蹴りに対して同じ要領で動いているため、攻撃が有利となる。

  3.  コンビネーションに対して追いつかない。

  4.  柔軟・順応性に欠ける。

以上の問題があげられることと思います。

 確かに基本から型、型から自由組手、自由攻防への移行していく際に、基本の受け技を活用することが窮屈で困難に感じられます。それは基本で用いられる受けの動作が直立した姿勢を土台に、定められた形(カタチ)で動くことから、一動作ごとに腕や上半身が必要以上に固まってしまうからです。しかし、そうした窮屈さの中で学ばれる要素は決して無視することは出来ません。

 その理由は本WEBマガジンでも度々触れているように、”空手が姿勢によって作られてゆく”武道であり、当初はそれが窮屈に感じられることもあるからです。

空手の基本や型は、全て姿勢に基いて行われてきているものであり、その目的は身体に一定の枠を設定することで、普段、身体内外に分散したエネルギーを身体に集め、自分の”芯を創る”作業と、それを有効に活用する運動法の習得を目的にしているからです。そのために次のステップへの向上は、階段を一歩ずつ上る様に段階を高めてゆき、徐々に応用へと進むことになります。当然、新しい段階に進む際には身体が慣れるまで(例、単独から対人へ)窮屈さや不自然さは感じるものです。その時に、「この方が有効だ」「これの方が簡単だ」といった、近視眼的にその場の効果のみを追ってしまうと、その先にある真の目的と向上を見逃してしまいかねないのです。

 そこでこうした単独動作から対人応用へのステップは一本組手や約束組手によって、

  1. 基本的間合いの習得

  2. 受けた際の体勢の確保習得

  3. 間合いを保っての体捌きの習得           

  4. 移動のタイミングの習得

等の対人技術の基本のポジショニングを無理なく習得出来る構造になっています。

 特に初心者には攻防を形でハッキリと区別して反復練習を行うことは、その感覚を養ううえで非常に優れた習得法であると言えるでしょう。

基本の受け動作の源泉”十字受け”と”夫婦手”

 以上、空手の“基本の受け”について考察してみました。

 この短所・長所を相持つ受けの動作ですが、やはり訓練が高度化するなかで、こうした受け技が実用時においては限界があると感じることは少なくないでしょう。

 その理由にあげられるものに、先にも記したように、

“受けからの攻撃に時差があり過ぎる”

ということがあると思われます。つまり、

“左で相手の攻撃を受ければ、自分の攻撃には右手しか使えない”

といった当然生じる動作の制限にあります。

 また、攻撃を受けた後も、相手は動き続けており、連続して攻撃される場合もあり、受けているだけでは間に合わず、状況が変えられないということもあるでしょう。

 これらの問題を解決するものが、夫婦手を活用した受けの用法となります。

 こう書くと、何か新しい、隠された秘伝のような思われがちですが、実際は皆さんが普段当たり前に訓練している基本動作に含まれているものです。大事なことはあまりに当たり前すぎて、何気なくつい見逃してしまっている動きを、丁寧に見直し、活用していくことです。

 本文冒頭にも触れた様に、一般的に用いられている空手の受け技動作には、中段外受け、内受け、上段上げ受け、下段払い、といった四つの動作がありますが、これら全ての動作の基となっているのは十字受けと言ってもよいでしょう。

 これら全ての受け技には必ず正中線を基準に左右の手がクロス(交差)していく瞬間が存在します

 空手の受け技は、この腕のクロスラインを中心に相手の攻撃の芯を外し、外へ弾く・流す、内に弾く・流す、上へ弾く・流す、下へ弾く・流す、ことで、自分の正中線を基準に攻撃のポイントを外すことにあると言えるでしょう。

夫婦手による基本の受け

 空手では”極め”と呼ばれる概念があり、それは型を行う上でも重要なポイントとされていますが、ともすると単独の受けの動作姿勢を受けそのものとイメージすることが多いようです。

 しかし、腕で相手の攻撃を受け払うだけでは、仮に相手の攻撃を受けられたとしても、受ける度に自らの動作も居着く体勢になってしまいます。

 その理由は、現在空手の受けとして認識されている動作が、実際には受け終わった後の終了姿勢であるために、実際の活用法とは実践上に微妙なズレが生じている光景も目にします。簡単に言えば、本来の空手の受けは、相手の攻撃を止まってガッシリと受けることではありません。本来は、相手の攻撃の芯を外すことで威力を減殺しつつ、同時に攻める、あるいは相手を崩すものです。受けに徹して必要以上に受け切る必要はありません。

 また、空手の受け動作は、動きの始まりから終わりまでが大きなストロークで行われ、時に体から遠く離れたところで受ける動作が見られますが、実際、殆どの防御は、自分の体に近く、正中線付近で行われるべきものです。

 そうした受けのポイントを理解するためには、まず各受け技の動作の基となる正中線を基準に、相手の突きに対して引手となる手で軽い捌き・流して伏線を作りつつ、もう一方の受け手になる手が引手とすれ違う瞬間(クロスポジション)に受け手に切り替える、という夫婦手の見えない動作(無視されがちな動作)を意識的に稽古することが有効です

 こうした稽古を繰り返すことで、切り替えられた受け手は単なる受けに終わるのではなく、相手の攻撃手をそのままこちらの技の切り出しに逆用出来るのです。

夫婦による受け返し

 極論をするならば、空手の受け技の基本は実は両手を用いて行うものなのです。

 こうした受け技には夫婦手が必要となります。

 相手の攻撃に対して、片手で全てを受け切るのではなく、双方の手の連携動作をもって行うことで、左右の手の負担は少ない上に、どちらの手も攻撃や掴み、抑え、崩しへと自在に流れを切ることなく連続していくことが可能となるのです。

 実際に動いている相手を捉えるには、片手よりも両手の巧妙な連携動作を用いた方が数倍容易になります。

交差法の夫婦手

 前述した受け手の夫婦手を更に攻撃と一体化したものが、交差法に用いた夫婦手です。

交差法とは受けと攻撃を同時に行うことを指した名称です

 簡単に言えば、先に紹介した左右の連携動作で“負担を少なくした受け手”から、引手を攻撃に転用したものと言えるでしょう。

夫婦手による交差法

 こうした動きは、体幹部の安定と、そこから生み出される力を左右の手の連結動作に結びつけることによって行われます。ここで大切なことは体幹部の力を利用し、胸骨・肩甲骨を開き、閉じすることで一気に左右の手を瞬間移動するイメージで使うことです。

至近距離での夫婦手

 空手をスポーツ競技としてだけではなく武道・武術として学ぶ上においては、試合を想定した、一定のクリーンな間合いでの攻防だけでは不自由が生じます。その理由は戦いには広い空間を用いた攻防と、密着した接近戦が存在するからです。

 実際、私の知る沖縄小林流の技法には多くの接近戦における当身が伝えられています。

 それらの多くはこれまで度々言われて来た、古典空手の実戦法である“相手を掴んで打つ”といったものに相当します。ここで重要な事は、単に“技術の無い人間が掴んで打つ”といった粗野なものではなく、

 掴みとは、崩し、引っ掛け、挟みなどの様々な要素を内包したものであり、掴むという行為も、いつも手によるものとは限りません。時には引手の脇に相手の腕を挟み込むことも含まれています。

 つまり”掴む”というのは単に手で行う行為ではなく、相手の動きの自由を制御する援護技法全般を意味し、同時に強く的確な打撃を相手に加えるための、統合されたひとつの技なのです。

 更に、そうした打撃だけではなく、投げ技や関節技においても攻撃を行う側の手は、それを支える逆手(引手)との連結がなくては有効な技法として効果をあげることはできません。

足にも夫婦手(足)がある

 以上が夫婦手という概念を分析し紹介したものですが、ここで最後にこの夫婦手のコンセプトが実は足=立ち方にもあることを解説しておきましょう。

 今回で紹介した夫婦手の基本的活用法は左右の手の連携動作によって、より自分の動作の力・スピードを充実させ、攻防の中で有効に自分の技を極めるものです。

 それは同時に、そうした動きを支える足=立ち方や移動にも活用されるものでもあります。

 人間の最も基本的な移動は”歩く”ことです。歩くという行為が左右の足を交互に踏み変える動きであることを改めて見直せば、そこに存在するバランスの重要さを理解することができるでしょう。

 また前に紹介した立ち方・歩法の項でも述べましたが、空手に伝わる基本の立ち方は、単に停止した際に美しい形(カタチ)を作るモノではなく、あくまでも動きの姿勢でなければなりません。

 そのためには、ひとつの立ち方や移動の中にも左右の足には絶えず力・体重の移動が交差したものであり、逆に言えばキッチリと形にはまった柔軟性のない立ち方では決してエネルギーは生み出されないものです。

 その為に必要な微妙な左右の足の操作は、正しく夫婦手と同じ特徴を持つものとなり、蹴り技における蹴り足と軸足の関係にへと繫がっていくものなのです。

(第11回 了)

-- Profile --

横山和正(Kazumasa Yokoyama)

著者横山和正(Kazumasa Yokoyama)

本名・英信。昭和33年、神奈川県出身。幼少の頃から柔道・剣道・空手道に親しみつつ水泳・体操 等のスポーツで活躍する。高校時代にはレスリング部に所属し、柔道・空手道・ボクシングなどの活動・稽古を積む。

高校卒業の年、早くから進学が決まった事を利用し、台湾へ空手道の源泉ともいえる中国拳法の修行に出かけ、八歩蟷螂拳の名手・衛笑堂老師、他の指導を受ける。その後、糸東流系の全国大会団体戦で3位、以降も台湾への数回渡る中で、型と実用性の接点を感じ取り、東京にて当時はめずらし沖縄小林流の師範を探しあて沖縄首里空手の修行を開始する。帯昇段を期に沖縄へ渡り、かねてから希望していた先生の一人、仲里周五郎師に師事し専門指導を受ける。

沖縄滞在期間に米国人空手家の目に留まり、米国人の招待、及び仲里師の薦めもあり1981年にサンフランシスコへと渡る。見知らぬ異国の地で悪戦苦闘しながらも1984年にはテキサス州を中心としたカラテ大会で活躍し”閃光の鷹””見えない手”と異名を取り同州のマーシャルアーツ協会のMVPを受賞する。

1988年にテキサス州を拠点として研心国際空手道(沖縄小林流)を発足する。以後、米国AAUの空手道ガルフ地区の会長、全米オフィースの技術部に役員に籍を置く。

これまでにも雑誌・DVD・セミナー・ラジオ・TV 等で独自の人生体験と古典空手同理論他を紹介して今日に至り。その年齢を感じさせない身体のキレは瞬撃手と呼ばれている。近年、沖縄の空手道=首里手が広く日本国内に紹介され様々な技法や身体操作が紹介される一方で、今一度沖縄空手の源泉的実体を掘り下げ、より現実的にその優秀性を解明して行く事を説く。

全ては基本の中から生まれ応用に行き着くものでなくてはならない。

本来の空手のあり方は基本→型→応用全てが深い繋がりのあるものなのだ。

そうした見解から沖縄空手に伝えられる基本を説いて行こうと試みる。

書籍『瞬撃手・横山和正の空手の原理原則』

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