『趾でカラダが変わる』朝日カルチャー出版記念講座(7/27日18時〜)直前、特別インタビュー
「裸足ラン&シューズにこそ趾(あしゆび)を!」(前編)
来る7月27日、新宿朝日カルチャーで『趾でカラダが変わる』の出版記念公開セミナーが開催されます。そこでここではセミナー直前特別インタビューと題して、近年話題の“裸足感覚のシューズ”や本の中でも登場する『BORN TO RUN』のテーマ、“裸足(ベアフット)ラン”について著者の中村考宏先生と中島章夫先生にお話しを伺ってみました。
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「何をやるにもその人の足のレベルが大事」中村考宏
— 今回は昨今注目されているビブラムやナイキのフリーなどに代表される、“裸足感覚のシューズ”やベアフットラン(裸足ランニング)についてお話しを伺いたいと思っています。
と、言いますのも先生の著書『趾(あしゆび)でカラダが変わる』の内容に関連するところが多いと思うからです。
中村 分かりました。
— まず中村先生ご自身がベアフットについてどんな印象を持っているのでしょうか?
中村 良いと思いますよ。
— 実際、先生の講座の受講生の中にもベアフットをされているかたがいらっしゃるでしょう?
中村 そうだね、この間も足指(趾)の講座でも居たし。ワラーチを履いている人、裸足で走っている人、ビブラムファイブフィンガーで走っている人、裸足系というか『ボーントゥラン』(書籍『BORN TO RUN 走るために生まれた~ ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族” 』クリストファー・マクドゥーガル (著), 近藤隆文(翻訳) NHK出版刊)系はそうですよね。ただ裸足だけに拘っている人も居るじゃないですか。裸足だけに拘るのは木村さん(著書『趾でカラダが変わる』で鼎談に登場している木村東吉氏のこと)が言う通り、“寒いのに裸足で走る必要はない”と思うよ。
— あの鼎談では「(かならず裸足は)リアルティーがない」という話しをしていますね。その前提にあるのは教条的になりすぎる人が多いということがあると思うんです。
中村 そうですね。(ベアフットを)やるならそこにあるリスクをやる人が分かっていないと駄目だと思います。
— ちなみに先生の講座にいらっしゃるそうした裸足系の人の趾って、やっぱり利いているんですか?
中村 いやいや、僕の所に来る人は裸足で走っても「変わらない」とか「痛い」とかいう人ですよ。今まではシューズを履いていて、今の流行でビブラムとかワラーチとか裸足に切り替えるじゃないですか。それでも「最初は痛くなるものだ」と思って、本当に痛い人が来るんだけど。まあそういう人達を見ているとやっぱり趾が効いていない。(足裏の)アーチが作れていない人ですよね。
— 裸足系の走り方を始めたから自然に足裏が利いてくるものではない?
中村 そういう場合もあるでしょう。ただその人の足のレベルに拠るんじゃないの。
— レベル?
中村 裸足で走っているうちに足裏の感覚が増してくるくらいのレベルと、裸足で走れるレベルじゃない、まったく眠った状態の足ってあるじゃないですか。
— 岩みたいになっている感じ?
中村 指にも意識がいかないというレベル。そういうレベルの人がいきなり裸足で走ると痛くなるという話しじゃないですか。
— 実際にそうした裸足系をされている方の足はどんな感じなんでしょう?
中村 まあ、裸足系に限らず綺麗で趾が効いている人は珍しいですよ。ただ相当悪い人もいらっしゃるのは確かで、そういう人が「小指を意識するようになって良くなった」という話しはありますね。
— 実際に走りを見て裸足系の人は踵着地じゃなくてフォアフラット(前足部着地)や裸足用の着地になっていますか?
中村 いやその人の前を知らないからね。ただ裸足でも(地面を)蹴り出している人は多いですよ。蹴り出しているということはフラット接地が出来てないわけでしょう。
— ものやアイテムから身体が出来上がることがあるじゃないですか。例えば裸足や裸足感覚のシューズで走ったら身体がそれに合わせて変わってくるとか。ただ現実的には多くの人の足はそういうことが起きるレベルじゃないということでしょうか?
中村 今の舗装されたレベルがあるわけですよ。これが毒蛇がどこからか出てくるようなジャングルだったら嫌でもそっちに対応していかないといけないんだけれど、これくらい整備された所での裸足の順応とかではそこまでは出来ないんじゃないのかな“環境に適応する”っていう。
中島 前に烏山の方に行ったら裸足で歩いている外国の人が居たんですよ。ただ歩いてるだけなんだけどそれって重要で、多分、足がベアフットに適応していく時に「走る時だけ裸足」とかじゃなくて、普通に歩いている時も裸足で色々なところに行っていると、段々と足が適応してくるんじゃないんですか。ちょっとはトレーニングするのかもしれないけど、走る時だけ裸足というのは負荷が高いから、上手く適応できる人とその為に壊してしまう人が出てしまうんじゃないですかね。だから近所を裸足でうろうろするようなことをしていると(足が)育つ余裕が生まれるかもしれない。走る時だけ裸足とかトレーニングの時だけ裸足とかをやっているとそこで感覚が育つ人も居るでしょうけど、もともと結構良い感覚の人かもしれないですね。
— ゼロベースだと厳しいと。
中島 そうそう。
中村 だって「感覚、感覚」と言うけれど、小指とか薬指にまったく感覚がいかない人も結構居るじゃないですか。そういう人に「感覚」とか「感じる」と言っても妄想にしかならないでしょう。
中島 逆に言うと普段靴を履いて歩いている人でも、その(趾の)感覚や意識の方向があれば、もしかすると裸足になっても良い感じで、裸足になったことを生かして足が育つということがあるかもしれない。逆に言えば普段裸足でもやっぱり指の意識が無いままでは育たないかも知れないですね。
— やっぱり意識的に、“足の指を効かせよう”というものがないと……。
中村 まず使える状態になるというのが基本ですよ。それが基準で、それより下だったら多分何をやっても難しいというか、そのようになっていないと思う。
中島 とりあえず「裸足になれば……」というのではなかなか身体が変わるスイッチが入らないと思います。
中村 そうですよね、やっぱり基準にある人が裸足なりなんなりをやって(身体が)変わるというレベルだから。最低限のレベルがあるんじゃない。
— なんとなくスパルタ式というか体育会的に、やっているうちに身体が合ってくる、とか制服が合ってくるとか(笑)そういうイメージがあるんですね。
中村 やっぱり中途半端な人が多いですよ。ちょっと痛いから止める人も居ますし、「もっとやればいいじゃん」という人も居るし。
中島 どこでも絶対裸足で行くようなね(笑)。あの『ボーントゥラン』に出てくるトッドみたいな感じで、みんなが「そんなところ裸足じゃ駄目だ」と言っても「いや俺は裸足でやる」とどこでも行って、怪我をしてもやっていくと「これは危ない!」と足の方で育ってくるかも知れない(笑)。
「“自分で自分の足を機能させる”という前提が大事」中島章夫
— (笑)ただ逆に壊してしまう人も居るでしょうね。
中島 そこはね、大変なところだと思いますよ。実際に裸足感覚の靴を履いた人が故障して「履く前にそのリスクを明示すべきだ」と訴えているケースもありますからね。
中村 ふーん。
— 裸足系のシューズが発売されて以来、時々耳にするトピックスですね。
中島 でも、「そんなことまで全部説明する必要があるのか」というのも当然あるわけで。
中村 基本的にはその人の走り方に問題がある場合がほとんどで。やっぱりモノのせいにしちゃ駄目ですよ。
中島 そういう意味ではそこで趾トレーニングが非常に意味を持ちますよね。
— そうなんです。今回このお話を伺っているのも裸足系シューズにしてもベアフットランにしても、それ自体はやっている人の世界が拡がるかもしれない面白いことだと思うんです。ただ、やっぱり何十年間もクッションの効いた靴でアスファルトの地面を蹴って歩いたり走ったりしてきた人がいきなり「裸足」というのは距離があると思うのですね。その辺りのことをとても丁寧に説明されている指導者もいますけど、実際に指導を受けずに始める人がほとんどでしょうし、やる人のなかには靴と裸足の距離がよく分かっていなかったり、裸足系シューズを履けばそれだけで「裸足感覚で走れる」と思っている方もいるようで。
中島 「裸足感覚」というのは確かにそうなんだけど、そこには「自分で自分の足を機能させる」ということが前提にあるわけですよね。その最低のレベルの足に達するために必要なのがやっぱり趾を使っていくトレーニングなわけですよ。
中村 例えば趾を握るじゃないですか。この時に小指や薬指に意識のいかないレベルというのは「怪我する恐れ大」とかね。
中島 実際に講習会をやっていると「小指が全然動きません!」という人が多いですよ。それで10回くらい握ろうとしていると「あ、動いた!」とか。
中村 スポーツ選手の人にむしろ多いですよ。マラソンやっている人とかに「趾を握って」って言うと全然出来ない人が多いですから。そんな基本的なことが出来ないということを理解して、その上で「裸足が良い」とならないと。「モノで何かを変えよう」と思うのが間違いですよ。
— やっぱりアイテム信仰は強いですね。「使えば良くなる」「履けば良くなる」という。
中村 そうそう。変えるためのアイテムでそこに自分で変わろうとする努力が抜けちゃっているのが多いですね。
中島 そういうことが裸足になると如実に出るんですよ。
— 逆に言うとシューズメーカーは本当に妥協無く裸足感覚で走れる製品を作ったんだと思うんです。
中村 まあ、壊れるっていうのがどの位のレベルなのかにもよると思いますけどね。痛くなるから痛くならないように動いていくわけで、「痛くなった=もう駄目だ」でもないですから。
中島 本当に痛くて悪くなってしまう人っていうのは「痛いけど、そこを頑張って抜ければなんとかなる」とやっちゃう人なんですよね。真面目と言えば真面目で。
中村 うん。
中島 “裸足系シューズ”を履いて走ればそのうち足が慣れるだろう。と凄く頑張っちゃう。普通の人ならもう止めるところでも頑張っちゃう「痛いけど走る」というタイプの人でしょうね。
中村 そういう真面目な人が趾をやれば良いんですけどね。「劇的な復活」をするはずですよ。
— そのフレーズ気に入ってますね(笑)。(編集注・書籍『趾でカラダが変わる』のあとがきにおいて自身が足の大怪我から復活したことを「ドラマチックな復活」と書いていることに由来します)
一同 (笑)
中島 ただファイブフィンガーの歴史を考えると、もともと裸足で走っていた人が「ファイブフィンガーなら本当に裸足感覚のままで足裏が守れた状態で走れる」と思って試したのが始まりで、(開発の)担当者も自分が走ったりしている人だから試してみて「いいな!」という話しで。その前提が無くて突然そこから始めると予期せぬことが起こるんでしょう。
中村 足指(趾)の講座に来ている人で裸足で走っている人が居ましたね。あと足半(あしなか)やワラーチを自分で作って走っている人も居て。その人は凄い扁平足でなんとかシューズで解決しようと試行錯誤をしてて。この間見たらビブラムを自分でカットして、そこに足底版(アーチを作る板)をつけて、ワラーチみたいに紐で固定していて、「そんなんだったらもう普通に靴履いたら?」って(笑)。
中島 そういう工夫が楽しいのでしょうね。
中村 その人は「自分は歳だからもう扁平足は治らない」と言うんだけど、その時点で自分に制限をしているんですよ。だから凄くモノ信仰でおかしな方向にいっちゃうんですよ。
中島 よく「歳だからもう治らない」とか医者や誰かに言われて本人もそう思い込んでいる人が居ますけど、よくよく聞くと「更年期だから痛いんだよ」とか「歳だから」と言われて「ああ、しょうがないんだ」というところから始まってるんですね。外反母趾だって治らないと言われてますしね。
中村 どうして自分の足にアーチを作ろうと思わないのかな。実際に足裏を伸ばしたら重心が後ろにいくじゃないですか。まず後ろ重心を変えようと思わないと。
中島 足の方でどうにかするという発想がないから、「靴の方でアーチを作って……」となるんでしょう。お医者さんもどちらかというとそういう発想だから。
中村 ビジネスですよ。小さい頃からアーチ構造を壊して後ろ重心にして、身体のあちこちがおかしくなるという……(笑)。
— 陰謀論ですね(笑)。
中島章夫先生(左)と中村考宏先生