藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 最終回 仏教を「する」こと
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談も、いよいよ最終回。 第十二回は「マインドフルネスとは何か?」という疑問から始まります。その答えは...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第十一回 死に対する構えを変える
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第十一回は死に立ち会ってもなお、燃え尽きることのない身の処し方について。「GRACEプログラム」...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第十回 「今を生きる」ことはできますか? ※有料
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第十回は「今」の捉え方について。輪廻転生はあるか、ないか? という探求から始まったこの対話は、「...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第九回 魂ってなんですか? ※有料
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第九回は輪廻転生について、さらに深く掘り下げます。そのある/なしを論じることには「説得力がない」...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第八回 輪廻転生はある? ない? ※有料
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第八回は輪廻転生について。仏陀が「無記」として答えなかったというこの存在は、ある/なしが問題では...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第七回 「苦しみ」と「幸せ」の方程式 ※有料
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第七回は死ぬまでにおこなう“練習”について。苦しむか幸せになるかは、“あること”をするかで異なり...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第六回 苦悩の正体を見きわめる ※有料
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第六回は苦悩のカラクリについて。苦悩を叩き潰すのでもなく、忘れさせるのでもなく、慰めるのでもない...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第五回 「私」に見えているのは、何? ※有料
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第五回は物を「見る」という行為について。物を見ている「私」と、それ以外の「物」との間に、境界線は...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第四回 「所有」のモードを変える ※有料
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第四回は「所有(having)」と「存在(being)」の違いについて。所有した物を手放したくな...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第三回 私という一人称の「死」 ※有料
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第三回は「死」をめぐる人称について。一人称としての死、「“私”が死ぬってどういうこと?」という問...