藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第七回 「苦しみ」と「幸せ」の方程式 ※有料
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第七回は死ぬまでにおこなう“練習”について。苦しむか幸せになるかは、“あること”をするかで異なり...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第六回 苦悩の正体を見きわめる ※有料
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第六回は苦悩のカラクリについて。苦悩を叩き潰すのでもなく、忘れさせるのでもなく、慰めるのでもない...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第五回 「私」に見えているのは、何? ※有料
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第五回は物を「見る」という行為について。物を見ている「私」と、それ以外の「物」との間に、境界線は...
もっと!保健体育 第七回 「teateセラピー・有本匡男先生」 文・イラスト/伊東昌美
中学生の時、保健体育はナゾでした。なんとなくエッチな感じがあって、でも真面目な顔をして先生は講義をしているし……。 その当時から体育が大好きだった私は、いまでも身体のことに興味があります。ただ、その頃のナゾだとかエッチな感じだとかそんな曖昧なことではなく、もっと身体のことを...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第四回 「所有」のモードを変える ※有料
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第四回は「所有(having)」と「存在(being)」の違いについて。所有した物を手放したくな...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第三回 私という一人称の「死」 ※有料
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第三回は「死」をめぐる人称について。一人称としての死、「“私”が死ぬってどういうこと?」という問...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第二回「死」って怖くないですか? ※有料
イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第二回は、「死を怖いと思う“私”って誰?」という、私が私である境界についてです。...
藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第一回「死」とは、全くわからないもの
コ2の連載「もっと! 保健体育」でもおなじみのイラストレーター・伊東昌美さん。エンディングノートでもある「自分♡伝えるノート(ジブツタ)」を広める活動もしています。その伊東さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“...
もっと!保健体育 第六回 「鍼灸・平地治美先生」 文・イラスト/伊東昌美 ※有料
中学生の時、保健体育はナゾでした。なんとなくエッチな感じがあって、でも真面目な顔をして先生は講義をしているし……。 その当時から体育が大好きだった私は、いまでも身体のことに興味があります。ただ、その頃のナゾだとかエッチな感じだとかそんな曖昧なことではなく、もっと身体のことを...
もっと!保健体育 第五回 「刀禅・小用茂夫先生」 文・イラスト/伊東昌美 ※有料
中学生の時、保健体育はナゾでした。なんとなくエッチな感じがあって、でも真面目な顔をして先生は講義をしているし……。 その当時から体育が大好きだった私は、いまでも身体のことに興味があります。ただ、その頃のナゾだとかエッチな感じだとかそんな曖昧なことではなく、もっと身体のことを...