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Interview

 ここでは新刊『システマ・ストライク』について、著者の北川貴英さんにお話しを伺ったインタビュー(約2万字!)を公開しています。本と一緒にお読み頂ければ、より著者の意図や本の背景などを理解する助けになると思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 PDFもご用意していますので、併せてご活用ください。

03 本物の中二病はリアルティを志向する!?

 

— 例えば怒りや恐れといった負の感情を手放すのが大事だ、というのが分かっているのにできないのと同じように、相手の攻撃に対して力を込めてしまうのは、結局自分のダメージを深くする、ということは分かっているのに、つい恐怖で身を固めてしまうということがあります。

 

北川 ええ、その時に「できる」「できない」という風に、オン・オフで切り替えるのではなくちょっとずつ変わっていければ良いんですよ。ただそのちょっとずつというコントラストみたいなところが結構みんな耐えられないみたいですね。なんか教わったことがすぐその場でパッとできるようにならないといけない、それ以外は全部ダメという風に思っているところがあるみたいで。でも本当はその「できる」と「できない」の間にはとても豊かなコントラストがあって面白いんですけどね。

 

— 我慢できない理由って何でしょうね?

 

北川 焦っているんでしょう。あと「自分にはセンスがある」と思いたいんじゃないでしょうか。まあ私も人のこと言えませんが(笑)

 

— あぁ。

 

北川 そういうエゴって人の成長に大きく影響する気がしますよ。

 

— それは分かる気がします。基本的に自分自身を含めて武術を学ぶ人にはどこかに中二病的なところがある気がします(笑)。

 

北川 根拠のない万能感、全能感が抜けない(笑)。

 

— あぁ、耳が痛い(笑)。

 

北川 (笑)でも本当の中二病というか、万能感があると現実的になると思うんです。だって自分の世界を現実化したくなるわけでしょう? だからプラモデルとかでもプロのモデラーになるとものすごいリアルなのを作るじゃないですか。でも中途半端な中二病は、自分のエゴに負けるんです。この場合のエゴってのは結局「自分にはできないんじゃないか」という、自分への不信感の裏返しなのですが、それを中二病で超えることができない(笑) ガチな中二病な人は自分の世界を練りにねって練り込んで、ちゃんと現実に通用するようなスキルに育てあげるんです。それがしっかり実生活で活かせて、仕事にできるんですよ。共通の知り合いでも何人かいますよね。そういう人。社会にきっちりと貢献して、家族もちゃんと養って、趣味も充実して、その力の源が実は確固たる中二病という人達(笑)。 

 

— (思い当たって)ああ、あの人達はプロの中二病で、立派ですね。

 

北川 ねぇ、立派ですよ。半端な中二病でアウトローぶるよりも、ずっと偉大だと思います。

 

— そういう意味ではストライクは「痛い」という体感のレベルで成功と失敗が分かるというのは良いのかもしれませんね。

 

北川 上手くできても痛いですけどね(笑)。

 

— 痛みの程度で習熟度が分かると(笑)。そうした部分で自分の習熟度を測る目安がこの本では沢山書かれているわけですね。

 もう一つ、サブタイトルにも書かれている「非破壊の打撃術」という部分について伺いたいのですが。この意味はなんでしょう?

 

北川 さっきの本当の中二病の話じゃないですけど、中二だったら「相手をぶん殴って仲間が押し寄せて大変なことになるんじゃないか」と、そこまで妄想を逞しくしなきゃいけないと思うんです(笑)。だから相手をなるべく壊さないように状況をコントロールしようとする。これってきわめて現実的なシミュレーションだと思うんです。

 

— なるほど。

 

北川 実際に私の昔の友達にもそういう失敗をやらかした人がいます。武道をやって気が大きくなったのでしょう。酒を飲んで酔っぱらって、街中でそのスジの人に因縁をつけてやっつけてしまったんです。それで「オレはケンカが強い」と威張っていたのですが、ある日実家を突き止められて囲まれちゃって、家族全員、家から一歩も出られなくなったということがありました。結局、警察に泣きついてなんとかしてもらったそうなんですけど、これは完全に自業自得ですよね。ではこの人の武道は、実践的かどうかと考えたら、どう考えても実践的ではないでしょう。局地戦では勝ったかも知れませんが、大局的には完敗してるんですから。

 そういう例って世界の歴史を見れば幾らでもあるわけで、本当に広い意味で「生き延びる」ということを基準に考えていくと「壊さない」方が得だし賢明な選択なんですよね。だけど誰かと対立することには備えなければいけない。問題はその時に相手を破壊してしまうのではない形で終わらせなければいけない。マーシャルアーツという手前、どうしても武術的なスキルの問題になってしまいますが、これもやはり職場や家庭など現実世界におけるあらゆる衝突のメタファーとして扱った方が、広がりが生まれると思うんです。

 

— はい。

 

北川 相手が怒っているというのは、砕けた言い方をすれば、何か相手にとってアンハッピーなことがあるわけで、相手にとってハッピーな結末になればこちらもハッピーなわけなんですね。打撃ということで考えると威力があれば良いということになりがちなんですけど、それだったらバットで殴れば良いわけです。でもわざわざシステマではストライクの練習をする。しかもマスターは「破壊するな」なんてことを言っているわけです。

 相手を打つのに怪我をさせたらいけない。トラウマを残してもいけない。でも軽くポフポフ当てるのでもなく、しっかりと相手が崩れるくらいのエネルギーを込めなくてはいけない。そのアンビバレント(二律背反)な部分というのは、日本武道の型に似ている気がします。「型なんか実戦の役に立たないじゃないか」と思われがちですけど、その型を作った人というのは物凄い達人なわけですから、無意味なわけがありません。そこを「ちゃんと意味がある」と、初めのうちは一種盲目的にでも思わなければ型稽古って成立しないと思うんですね。でもやり込んで行くうちに、徐々に型に秘められた深い意味が色々と分かってくると。

 

— なるほど。

 

北川 システマには型はないんですけど、「破壊の否定」というコンセプトの部分がこの型と同じように働いて、実際にはストライクで人を打つことを行っているんだけれども、それは「破壊ではない」と思いつつやる。でも、それってなんでだろう? と考えながらやっていくことで、色々と分かってくると思うんです。そういう態度で練習に臨むかどうかで、おもしろいもので上達の速度が全然変わって来ます。だから長くシステマをやっている人でも「破壊の否定」を「そんなのキレイごとだろ?」と思いながらやっている人はすぐにわかるんです。動きの雰囲気が全く別ものですから。要するに固さが抜けないんです。

 「破壊の否定」という矛盾は、最も言葉にしにくい知恵を伝えるための装置のような機能を持っているように思います。

 

— 実際にそれで上手くなるんですか?

 

北川 上手くなります。要するに難しいことをやっているわけです。「ただ打撃の威力を上げる」よりも「威力や効果を上げるけど相手を壊さない」の方が要求として高度ですよね。高度なことに挑めばその分、上達するのは普通のことだと思います。ただ打つということ以外を含めて伸びるんです。特に相手を正確にコントロールしようとすると、どこを、どのタイミングでどのくらいの深さで打つかという色々な要素が介在してきます。こうしたことを全て意識しながら練習していくと、一回の練習での密度や情報量がぐっと増えてくるんです。

 

— 殴るという練習は、どこかで熱くなって爽快感もありますが、システマの場合は常に自分と相手をコントロールする必要があるわけですね。

 

北川 そうです。今回の本は結構分量があると思うのですが、これは「少なくともこのくらいのことは気をつけて練習したい」ということです(笑)。それは僕自身もで、だからまだ全然できないことも沢山あるわけです。

 

04へ続く

編集者的に最も中二病的で好きな映画なので……。

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