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Interview

 ここでは新刊『システマ・ストライク』について、著者の北川貴英さんにお話しを伺ったインタビュー(約2万字!)を公開しています。本と一緒にお読み頂ければ、より著者の意図や本の背景などを理解する助けになると思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 PDFもご用意していますので、併せてご活用ください。

05 打つ側、打たれる側のメンタルも大事

 

— ボクシングはスポーツとして確立しているので、その辺りは明快かもしれませんが、所謂、武術や武道と呼ばれるものは試合の有る無しに関係なく大枠で括られてしまうことが多く、その辺りが曖昧になっていることが多い気がします。

 

北川 そうなんですね。日本人がシステマを習う時にネックになるのは、実戦というものを考えた時にどうしてもフィクションが頭の中に思い浮かぶ人が多いんですよ。プライドとかK-1とかはエンターテイメントですよね。あるいは映画のワンシーンとか。アクションスターが敵に囲まれてばったばったと打ち倒しているみたいな。

 

— はい。

 

北川 つい、そういう非現実的なフィクションを想定してしまう。でも、私たちが普段生きている生活の方が、よっぽどシビアなんです。だって毎年、自殺で約3万人が命を落としているわけでしょう。内戦が行なわれているようなものです。

 

— そうですね。

 

北川 一方、殺人で亡くなる人はおよそ400人くらいだそうですから、どっちが現実的な脅威かは明らかだと思うんです。しかもその殺人事件の内訳を見ても、ほとんどが親族や知人の怨恨によるものです。いわゆる「護身術」が想定しているような通り魔的な事件は派手に報じられる分だけ、インパクトがありますがずっと少ないんです。統計を見る限りでは、日本の治安はどんどん良くなってるんですから。だからこの本で言っている「サバイブ」というのは、この毎年3万人が亡くなっている現状の中で活かせないと意味がないんです。仮に物凄いストライクを身につけて、どんな相手でも一撃で倒せる、となっても、仕事や家庭で失敗して心を病んでしまったら意味がないわけです。それは「実戦において何にも役に立っていない」ということになると思います。

 

— 確かにミカエル先生も「システマが生活の中に生きなければおかしい」と仰っていますが、この本で語っている「ストライク」もそこへ結びついているわけですね。

 もう一つ、やはりこの本で特徴的なのは"打たれる"側のメンタルはもちろんなのですが、"打つ"側のメンタルにも語られているところですね。これは盲点でした。

 

北川 そこは私も大切にしているところです。だって打つ側のメンタルセットで「殺すつもりで打て!」と言われたりしますけど、本当に死んじゃったらマズイじゃないですか(笑)。僕が昔空手をやっていて、「これはマズいな」と思った理由の一つもそこらへんにあったりします。若かったのもありますが、つい熱くなって「ぶっ殺してやる」的な勢いで後輩をぶん殴っちゃったことがあるんです(苦笑)。

 

— おぉ!

 

北川 道場内でのスパーリングだったんですけど、身体が大きくて運動神経も良い、強い後輩がいたんですよ。技術自体は私の方があっても、いかんせん身体能力が違うんでガンガン打ち込まれてしまう。で、「調子乗ってんじゃねえぞ、この野郎」とキレてしまいまして(苦笑)。防具をつけてどんな打撃もアリというルールでやってたんですけど、右フックで相手の面を横にズラして、むき出しになったこめかみのところを思い切り打ち抜いたんです。さいわい拳サポーターをしてたんで大事に至らなかったんですが、後になって、打った瞬間の自分は本当に致命的なダメージを与えるつもりで打っていたな、ということに気づいて、ものすごく落ち込んだんです。だってわざわざ面をどけたうえで急所を狙い撃ちしてるんですから。それまでも仲間とのスパーではがんがん打ち合ってたんですが、この時の打撃は自分の中で異質でしたね。それも未だかつてないくらいのクリーンヒットでしたし。

 

— それもあって"打つ側のメンタル"へも注意が向いたわけですね。

 

北川 そうですね、私がシステマに共感するのはやはりこういう打つ側のメンタルに関しても納得できるところが多々あるからと言えますね。空手に関してはこの一件以降、「これは性格が悪くなるな」と。「これは嫌だな」となってしまって、それ以来試合をやる気もなくなりましたね。別にそれほど強いわけでもなかったんですけども。

 

— それまでも試合に勝つことを目的にやってきたのに、そんなに変わってしまったんですか。

 

北川 本気で「コイツが死んでも良い」と殴った自分が本当に嫌になってしまって。一年位はヘコんでましたね。今でも完全には立ち直ってないですよ(笑)。そういうことをしかねない自分がいる、ということからは逃れようがないですから。とはいえ、人間関係もあってすぐ道場をやめたわけではないんです。付き合いで試合することもあったんですけど「どうしてこの人を殴らなければいけないのか?」という疑問がまず出てくる(笑)。いざ試合がはじまっても面の向こうに見える相手の顔が、恐怖で引きつってたりするんですよ。するとなんだか申し訳ない気分になってしまったりして。これは僕の個人的な体験ですけど、システマに出会う伏線として、大きかったと思います。

 

— なるほど。

 

北川 スポーツ選手やそれなりにキャリアのある格闘家であれば、誰もが「ゾーン」と呼ばれる体験をしたことがあると思うんです。私も何度かありますが、そういう時には自分でも思ってもいないような動きが出る。先ほどの体験も、一種のゾーンですよね。

 私が通っていた道場はちょっと変わってて、一人対二人の組み手とかやらされるんですが、やはり二人相手だと打ち込まれるわけですよ。するとゾーンのスイッチが入って、道場の隅に追い込まれてボコボコ殴られてたはずなのに、気づくと囲みを逃れて反対側に回り込んで、二人の背後から後頭部めがけて飛び蹴りをかましてたりするんです(苦笑)。そういうことやらかす度に先生からは「北川!お前はなんてことするんだ!」と怒られてましたよ。その直前まで二人掛かりでボコボコに殴られてたのは僕の方なんですけどね(笑)。

 確かにそういうスイッチの力はすごいし面白いんですが、いつ入るかどうか分からないあやふやなものなんです。しかも身体が勝手に動くなんて危なくて仕方がない。そもそもスイッチが入ったところで動物的になるばかりで、人としての成長に繋がるとはどうしても思えなかったんです。むしろ悪くなっていってしまっているんじゃないかと。だって人に平気で痛い思いをさせられるようになるってことですから。でも武術というものが昔からある以上、そのスイッチを超えるものを人間は見つけ出してるはずだ、という思いがわきあがるようになりました。それが古武術への興味に繋がって、甲野善紀先生のところに行くに至るわけですね。

 

— botにあるミカエル先生の発言で「相手を倒そうという意志は全くありません。プロはただ自分の知っている動きをするだけ。そこに意識や感情は不要です。漢字の勉強する時もただ書くだけ。怒りなどの感情は必要でしょう?」というものがありますね。これが打つ側のメンタルについて語っているように思います。打つということに過剰に想いを入れない。これはこの本の中でも語られていて、特に印象的だったのが、ストライクの練習で相手を打った際に「(相手に対して)「痛そうだな」「かわいそうだな」といった不安や同情は、相手に恐怖心や自己憐憫といった感情を呼び起こしてしまいます。すると本来、持つはずの強さを発揮する妨げとなってしまいかねないのです」という部分です。

 

北川 そうなんですね。「倒してやる」という感情もそうですが、「かわいそう」というのも不要で、"ただ作業をする"というのが大事なんです。

 

— マスターのヴラッド先生の「それを行う時には淡々と行う。打った相手のことはわすれよ」も同じで、凄く大切なことなんですけど、こうして改めてハッキリ書かれているのは珍しくて編集作業をしているなかで驚きました。

 

北川 ミカエルはナイフの使い方について「バターを切る時のようにナイフを使いなさい」と教えています。気合を入れて全身の力で切ることも「バターさんご免なさい」と謝ったりすることもないでしょう? ただ切ってパンに塗る。ナイフもそれと同じということです。だけど人を拳で打つ時には、どうしても精神が興奮してしまう。そうやって恐怖心から逃れようとするんですね。それを「やらないようにしましょう」というのがシステマなんですね。

 

— そこは多くの人がぶつかる問題で、シリアスな人は禅やなにかの精神修養に答えを求める人もいると思います。システマが面白いのは、こうしたメンタルの問題をメンタルで解決しようとするのではなく、物理的に身体を動かしたり、呼吸でメンタルを解除していこうというところですね。

 

北川 最近ではカウンセリングなどの臨床の場でも、身体とメンタルの繫がりについて重視されているそうですね。システマにおいても、やはり身体とメンタルは一体のものとしてとらえられています。

 

— その検証の場としても実際に打つ、打たれるということがあるわけですね。打つという作業の中にある身体の要素とメンタルの要素を分解して、そこに生じやすいストレスを一度明文化した上で消していくと。

 

北川 あとシステマの場合、「それが長持ちするか?」ということが大きな基準になります。バターを切るとしたら、気合いを入れても、いちいち謝ってもやっぱり疲れてくるんですね。普通に流れ作業で行うのが一番疲れずに成果を出せるわけです。で、戦場の場合いつ終わるかが分からないんですね。

 

— ああ。

 

北川 また、いつバターを切らないといけないのかも分からない。だからあらかじめ気持ちを作って臨んだりすることもなかなかできない。スポーツなら始まりと終わりがハッキリしているので、そういうメンタルの立て方も有効なのかもしれないですけど。

 

— ミカエル先生の言葉で「戦場では勇敢なものから死んでいく」というのがありましたね。

 

北川 ええ、「自分を強いと思っている者から死んでいく」と。

 

— 淡々とこなすのが大事であると。その要素をグッと圧縮しているのがシステマのストライクなのかもしれないですね。

 

06へ続く

様々な人、分野に影響を与えている甲野善紀先生。

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