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Interview

 ここでは新刊『システマ・ストライク』について、著者の北川貴英さんにお話しを伺ったインタビュー(約2万字!)を公開しています。本と一緒にお読み頂ければ、より著者の意図や本の背景などを理解する助けになると思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 PDFもご用意していますので、併せてご活用ください。

04 ストライクは末端から!? 

 

— 今回の本でもう一つ、これまでの打撃理論と真逆で驚いたのは「末端から動く」ということです。パンチの打ち方などでは「下半身からの力を腰、肩、腕と繋げて打つ」と言われていることが多いと思うのですが、これは何故でしょう。

 

北川 剣の動きが先にあったからだと考えています。

 

— 剣、刀、刃物ですね。

 

北川 ええ。ロシアだとシャシュカですね。日本の武道でも道具に動きを教わるということがあって、どうしても一人でやっていたり、効果や威力だけを指針に続けていると、目先の部分で誤魔化してしまうことがあるんですね。思い込みがブロックになってしまうこともありますし。

 

— なるほど。

 

北川 だけど武器を使うと、物理法則に従わざるをえないわけです。それは凄く正直ですから、ミカエルのスゴいところの一つは剣の動きからストライクまで共通の原理を見いだして、なおかつ誰にも分かる形で提示したってことだと思うんです。それと逆に改めて知りたいのは、「腰から打つ」「肩から打つ」というのは世界的に見てどうなんでしょうね? 空手などでは「腰から」と僕も習いましたけど、ボクシングなんかでメキシコ人のボクサーなんかが足を踏ん張ってパンチを打つということを練習したりしているんですかね。フランスのサバットの人が、やっぱり腰でタメを作ってキックしたりするんですかね。日本の影響を受けてそういう身体の使い方が取り入れられたということも考えられますが、本来はどうなのかなあ、と。その辺、私は疎いのでよく分からないのですが、少し疑問です。もしかすると足を踏ん張って、腰から打つというのに拘るのは、日本だけの傾向なのかな? という気もしています。

 

— どこかで稽古体系を含めて「大艦巨砲主義」的な刷り込みがあるのかもしれないですね。また、試合という目標があって、限定された空間で打撃によって優劣をつけることを突き詰めるなかで生まれたスタイルなのかもしれません。この辺りの「何を目的にしているのか?」という部分は一見同じことをやっているようでも、全く違う方向だったりするので、難しいところだと思います。

 

北川 あと解剖学の本などには「体幹の力を末端に伝えて行く」という風に書いてあることもありますけど、それも「本当にそうなのかな?」というところがあって。

 

— それは?

 

北川 筋肉には運動を司ると同時に、姿勢をキープするという役割がありますよね。人間の身体は二本足で立つことを最優先にしますから、両者を比べると姿勢のキープの方が圧倒的にプライオリティが高いことになります。どんな行動をしている時でも、足元が急にぐらついたら、その瞬間はバランスの回復が最優先になるでしょう。その役割を主に担っているのが、体幹の筋肉です。だから体幹の筋肉にとっての最優先事項はバランスの維持であって、末端への力の伝達についてはたいして重きがおかれてないんじゃないかと。

 

— 面白いですね。言い換えるとクレーン車が物を吊り上げるのにキャタピラの力を借りないということですか。

 

北川 ええ。筋肉は縮むことで力を発生させるのはその通りなんですけど、その理屈を単純に身体全体に広げて「大きな体幹の筋肉を縮めれば、より大きな力が発生する」という、理屈になってしまっているのではないかと思います。でも体幹はバランスのキープに忙しくて、末端に力を回す余力なんて残ってない。でもそのお陰で僕たちは普段特に意識してなくても、歩いたり座ったりしながら色々な作業ができているんだと思うんです。

 

— それこそが体幹の仕事で、末端の腕の動きに体幹を動員するのは違うのではないか? と。

 

北川 もちろん私の仮説ですけどね。末端の動きを体幹で生み出そうとすると、体幹としては全体のバランスを保ちながら、末端の動きにも参加しなければなりません。でも生物の身体ってのはとても合理的だから、もっとスッキリとしたやりかたをしてるんじゃないかと思うんですよね。

 

— そこで「末端から動く」と。

 

北川 末端から動くと、体幹はバランスをキープし続けるという働きだけで済むので、シンプルになるわけです。結果として末端と体幹が連動して動くんですが、動きの中ではあくまでも末端が主で体幹が従という関係ですね。もちろんここで言う末端は体幹にも設定できるので、例外はいくらでもあるんですが。

 

— 試合のような場面であれば、あるいは脚を止めることになっても、コンビネーションなどで相手の脚を止めた上で、体幹の力を動員して大きな力を拳に載せて打つテクニックも有効かもしれないですね。ただ、そうした縛りごとがない戦いの場を想定すると、そもそも素手であること自体が必要なく拳自体に破壊力を持たせる必要もないわけで、むしろ道具を自在に使えれば良いわけですよね。これはどちらが良いとか悪いという話ではなく、問題の立て方が違うんでしょう。

 

北川 そうですね。システマとしては、なるべく打つことも、打ったことも相手に知られたくないわけです。これも試合のように向かい合って「ヨーイ、ドン!」で始める場面では難しいし、技術的にもまったく異なるものが必要になってくるわけです。だからもし打撃系の人がシステマをやるとしたら、そもそもストライクがやろうとしていることの前提が違うことをまず分かった上で話を進めていかないとなかなか難しいでしょうね。

 

— そうですね。その辺りがかなり大事で、そこを曖昧なままやっていると、お互いに今何を練習しているのかが分からなくなると思います。

 

北川 誤解して欲しくないのは空手やボクシングといった、他の打撃の技術を否定しているわけじゃないんです。私自身も他の武道や格闘技から色々と学ばせてもらってますしね。ただ「その技術にはどういう前提に立脚しているのか」という、その前提を理解しないと技術はいくら練習しても生きることはないと思うんです。例えばトンカチは釘を打つために生まれたものです。それで木を切る練習をしても意味がない。だからと言って、「それじゃ家を建てられないじゃないか」と文句を言っても仕方ないですよね。木を切るために作られたノコギリや釘が別に必要になってくるわけで。前提を見失うと、こういう齟齬が色々と出て来てしまうんですよね。

 

05へ続く

ナイフディフェンスとサーベルの説明するミカエル氏

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